おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

東日本大震災

3月11日  (第1296回)

本日は11年前に、東日本大震災が起きた日です。ここしばらく本ブログは、私の体調不良、仕事の不調、家庭内の新型コロナの混乱などが続いたため、半年ほどワクチンの話題と、鳥の写真集だけになっていました。その間、興味深いことに、毎日50件前後のPVが続…

三月十一日の上野写真集  (第1286回)

2021年3月11日は、東日本大震災が始まってから10年経った日でした。この日、墓参や黙祷をなさった方も多いと思います。他方で私は、前回に書きましたように、被災地を歩いてきたことから、地震当日は知らない土地での大地震や大津波や原発事故であったのに、…

これまでの十年  (第1285回)

あれから10年。これまで歩いてきた場所の写真の一部です。各所で地元の方々に伺ったお話しは、それぞれの回に記録していますので、ここではくり返しを避けます。あの日あの時、私は自宅兼事務所で確定申告や会計処理をしていました。拙宅の区域は震度5強。 …

常磐線 祝全線開通  (第1283回)

2011年に発生した東日本大震災のあと、年に一度、被災地を巡ることに決めて九年目。津波や原発事故で一部区間が不通になっていたJR常磐線が、全線開通しました。本年3月、コロナ禍が日本中、世界中を覆い始めていたころの嬉しい報せでした。被災地も前回から…

東日本大震災の教訓  (第1217回)

少しタイトルが大げさかもしれない。私は地震学者でもないし、救命のプロでもなく、単に家が揺れた程度の被災者だ。さはさりながら、近くの浄水場でセシウムが基準値を超え、しばらく水道の水は飲めなかったし、近所から飲み物が消えた。家族親戚まで範囲を…

震源  (第1212回)

今回をもちまして、これまで四回にわたって記録した中越地震のお見舞い(15年目)の記事を終わります。最後の今回は、長岡市街でお聴きした現地のお話しが中心です。今次の旅行は震災関係だけではなく、この地から世に出た河合継之助や山本五十六、あるいは…

中越  (第1209回)

これまで何回か書いた話題の繰り返しから始めます。このブログを始めたのは2011年6月。東日本大震災の三か月後。あの震災がなかったら、このブログは始めていない。生涯、ブログは書かなかったかもしれない。人生を変えました。地震は拙宅の地域で震度5強。…

確定申告の時期に  (第1193回)

前にも書きましたが、2011年3月11日、私は自宅事務所で、個人事業の経理の仕事をしていました。記憶では一日か二日前に、2010年の確定申告作業は終わり、その勢いで、2011年分の会計処理も一気に片付けようと、伝票やエクセルと格闘しておりました。 最初の…

女川の港  (第1188回)

ちょうど去年(2017年)の同じころ、11月下旬に、私は仙台湾の反対側にある名取川の河口付近から、牡鹿半島を遠望していた。このブログに金華山が見えたと書いた覚えがあるが、芭蕉や曾良の轍を踏んだかもしれない。ともあれ、土地鑑もないし遠かったので、…

日和山の秋  (第1187回)

11月14日は、前日無事に大川小学校方面への遠出を果たしたので、足もくたびれたし、石巻市街をゆっくり歩くことにした。地図で見ると、芭蕉と曾良が訪れたという名勝、日和山が徒歩で行けそうな範囲にあるので、午前中はその地を目指す。 まずは、前日の新北…

風にもまけず  (第1186回)

3時間の歩きで、よれよれになった。体力を消耗したというより、足が痛くなった。これでは、さらに3時間もの復路を歩けないと思い、残念だったが、滞在時間を時刻表に合わせて短縮し、またしても住民バスのお世話になることに決めた。 今回に限らず遠出すると…

大川小学校に向かう  (第1185回)

前回の続きです。私にとって天災の恐ろしさの度合いは、自然科学的な数値で表させるものと、人的被害という数量だけの問題ではない要素との組み合わせになる。例えば北極のような誰もいないところで、どれほどの大地震があったとしても、前者の学術的な関心…

北上川  (第1184回)

私は車を持っていない。バイクの免許はない。もう20年以上、レンタカーも使っていない。子供のころから近視と乱視がひどく、いまは老眼による目の疲れやすさも加わった。ドライブを楽しむ体力も落ちてきて、東京にいる限りは、公私ともに車は不要だから、も…

石巻  (第1183回)

何度かここに書いてきたように、年に一回の割合で、東日本大震災の被災地を訪れています。ボランティア活動などするでもなく、ただ歩き回り、飲み食いし、その記録を書き残している。 私は地震学者でもないし、原発関係者でもない。災害の専門家でもないし、…

わたしはラーメンか  (第1179回)

本日(9月1日)は防災の日であります。以下、書き記すことの殆どは、かつてここで書いたことがある話題ですが、天災が忘れたころにやって来ないようにするためのリフレインです。 明治生まれの母方の祖父は、関東大震災のことを「こないだの地震」と呼んでお…

南三陸海岸大津波  (第1148回)

本の名です。吉村昭著「南三陸海岸大津波」。私が持っているのは文春文庫で、奥付に「2011年5月25日 第11刷」とある。学生時代に一度、買って読んだはずなのだが、自宅にも実家にも見当たらなくて、どうやら買いなおしたらしい。おそらく海外駐在に行く前に…

風化  (第1148回)

毎年この時期になると、東日本大震災に関連する報道が増える。今年は単なる気のせいなのかもしれないが、風化という言葉をよく耳にしているような感じがする。たぶん自分に言われているような気がするからだろう。 これでもまだ、震災でいえば阪神・淡路や熊…

花蓮  (第1146回)

初めて見たとき、なんて綺麗な地名だと思った。うろ覚えだが現地ではファーリェンというような発音だった記憶がある。2007年に台湾旅行に行った。そのとき三泊のうち二日が台北の泊りで、一日だけ花蓮に宿泊した。先日(2018年2月6日)、大きな地震で被害が…

バス停が小学生を待っている  (第1136回)

前回の続きです。宮城行の二日目、仙台から名取に移動した。右手の車窓から冠雪した山々が見える。ろくに地図も見ずに来たものだから、どこの何山か知らなかったのだが、名取駅前から乗ったバスの運転手さんは、「今朝初めて蔵王が真っ白になった」と言って…

青葉城  (第1135回)

前回の続きです。浪分神社からの復路は順調で、バスと地下鉄を効率よく乗り告げたので、日暮れまでの時間帯に仙台城址に行くことにした。見たいものが二つある。お馴染み伊達政宗像と、正岡子規が随筆「病床六尺」に書いた鵄(鳥のトビ)の像。 後者のトビ像…

浪分神社  (第1134回)

毎年一回、東日本大震災の被災地を訪問し、その記録や感想をここに残している。2011年の3月下旬、気を取り直して生活を立て直すため、気分転換にまず温泉に行き、そこで初めて漫画「20世紀少年」をみた。いわば、お導きのようなものです。 大人になってから…

原子力政策  (第1054回)

あまり時事ネタをここで取り上げないようにしているのだが(娯楽目的ですから)、以下に関することは、すでにここでも何度か話題にしているし、その続きを書かずにはおけない感じになってまいりました。 ことの発端は、ネットで評判になりつつある先週金曜日…

地震  (第1005回)

半世紀も生きてきて、結局、地震のことは何も分かっていない。私だけでなく、おそらく誰もみな。津波など滅多に来ないと勝手に決めていたら奥尻島に来た。関西は火山が無いから地震は少ないと思い込んでいたら、阪神淡路が来た。中越で終わったかと思ってい…

久之浜  (第996回)

早朝に食事を済ませて、小名浜の宿を出る。学生時代、寝台特急に乗って旅したレールの上を、地元の皆さんとともに各駅停車でカタコト揺られ、いわきを経て久之浜に向かう。久ノ浜駅には電子改札がなくて、SUICAに入場記録だけ残し外に出た。小さい写真を貼り…

小名浜  (第995回)

前回の続きで、今日と次回は福島訪問記です。年に一度は被災地に行く計画を立てており、つい先日、5回目の九段に出かけたばかりだった。6回目は経緯があって、6年目に入ったばかりの3月12日(土)と13日(日)の週末を利用し、一泊二日で福島県いわき市まで…

5年前  (第994回)

このブログは、5年前の2011年6月に書き始めた。この時期からとなった理由は二つある。いずれも、きっかけはこの年の3月の出来事。一つは、新潟の温泉を再訪し、まだ雪が残っていたので昼間は近くを歩く程度という休養の日々を過ごしていた折、宿の本棚に「20…

九段  (第982回)

間もなく東日本大震災の発生から5年を迎える。今日は漫画と関係がない。毎年一回、被災地を歩くと決めているのだが、今回(去年の3月11日から一年間)は諸事情が重なり、金も体力も時間も不足したまま時が経ってしまった。 過去4回は東北3県と北関東に参った…

北の鉄人  (第971回)

去年はラグビーを知らない私でも(知っているのはバックパスしか駄目というルールだけ)、ラグビーのことを書いたとて怒られそうもないことが起きた。競技の説明や試合の解説は書きたくても知識がないので、昔話から始めます。 モンちゃんが就職したのは酒造…

2014年 クウェートの返礼 (釜石〜陸前高田〜気仙沼)

湾岸戦争が始まったとき、私はアメリカ合衆国のサンフランシスコにあるオフィスで働いていました。1990年のことである。いつもは朗らかで強気な米国人の若い同僚たちが、「テラモト、俺は兵隊にとられるかもしれない」と真っ青な顔をしていたのを今でも覚え…

三陸海岸を歩く (山田〜大槌〜釜石)

前回引用した近所の作家、吉村昭「三陸海岸大津波」の最後の辺りに、「私は、津波の歴史を知ったことによって、一層三陸海岸に対する愛着を深めている。」という箇所が出てくる。そして「私は、今年も三陸海岸を歩いてみたいと思っている。」という一文で終…