今回をもちまして、これまで四回にわたって記録した中越地震のお見舞い(15年目)の記事を終わります。最後の今回は、長岡市街でお聴きした現地のお話しが中心です。今次の旅行は震災関係だけではなく、この地から世に出た河合継之助や山本五十六、あるいは新発田や新潟にある先の戦争時の慰霊碑などにも参りました。そうした他所でお聴きした地震関係の話題も含めます。
その中で最も滞在の時間を長く費やしたのは、長岡駅から歩いてすぐの距離にある「長岡震災アーカイブセンター きおくみらい」という、長岡市立の施設です。到着したときは団体客がいらしたのですが、途中でお帰りになり(のちに聞いたら会津からの皆さんとのことでした)、私一人で管理・案内をなさっている方を長時間にわたり拘束申し上げ、この厚かましさにも拘らず詳細にご説明頂きましたこと、ここに改めて深謝申し上げます。
公式サイト:
www.city.nagaoka.niigata.jp
さて、この施設も含め、各所で地震の原因は何だったのかという話を伺ったのですが、大きく二つに分かれました。もっとも両者は連動しているのかもしれませんが、ともあれ表現は違った。ここらは地面の下が、ややこしくできているらしい。まず、一つ目はフォッサマグナに関連づけた説明です。子供のころから、フォッサマグナは知っていました。当時の訳語は、「大地溝帯」。名のごとく、地面にできた大きな溝の上にある帯状の地質。
幼い頃から知っていた理由は、生まれ育った静岡が、このフォッサマグナの西側の境界線である「糸魚川-静岡構造線」という、本州を横切る長い断層線の南端だからです。中学生のときだったか先生に、「この近くにフォッサマグナの西側の断層が走っている。こんなところに、よくもまあ大勢、住んでいるものだ」と聞かされたのを覚えている。しかも、そのころから、「東海地震」なるものが、まもなく来るであろうという予言が出て、大騒ぎになった。
今では東海地震だけが単独で取り上げられるケースは少ないようですが、来ないと言い切れるはずもない。実際、静岡県は中小の地震が多いし、伊豆半島はときどき火山の噴火があります。日本で一番高い富士山と、日本で一番深いらしい駿河湾が、ともにこの静岡県に面しているというのは、偶然のことではないと思う。
さてこの人騒がせなフォッサマグナですが、上記の西側の境界線が明確なのと比べ、東側は諸説あるらしい。以下に糸魚川市のサイトをご案内します。二つの概略図があり、上はフォッサマグナの発見者にして名付け親のナウマン博士が定めしもの。このころの東側は、糸魚川と同じ新潟県内の直江津から、神奈川県の平塚までとシンプルでした。火山も河川もあります。
www.city.itoigawa.lg.jp
これに対し、下半分の図は現在の想定です。西側は同じですが、東側は関東山地をはさんで、ずっと東側の新潟県柏崎市と、千葉県千葉市を結んでおり、大地溝帯の面積が、ぐっと広くなっている。つまり、現在拙宅がある東京都も含まれており、実感として新潟や関東で立て続けに起きている感じの地震の多さを思うと、これも説得力があるように感じます。
柏崎近辺には、柏崎刈谷原子力発電所があります。これが中越地震の三年後、2007年に発生した中越沖地震のときに、一部の施設が火災に遭い、機材が壊れたりの事故がありました。幸い東日本大震災による東京電力福島第一発電所の事故ような、メルトダウンその他の得体のしれないカタストロフにはならずに済んだようですが、上記の「きおくみらい」のご担当も、あのときすぐに安心してしまったが、福島以来、次が怖いと思うようになたとのことです。
なお、この「次」という意味は、その場で伺った話によると、中越地震は東側境界線である「柏崎-千葉構造線」の本線ではなく、図の右上(北東側)に支線が示されている「新発田-小出構造線」が動いたものだというご見解でした。新発田と小出は、いずれも私がその駅に降りたことのある新潟の地名です。確かに先回、示した震度の図も、おおむねこの線に沿っています。
この「きおくみらい」の大きな展示室の床は、地震のあと間もなく上空から撮影した航空写真が貼り付けてあり、ちょっと見づらい画像ではありますが、震源地の川口や、山古志などの支線沿いの土地の写真を、南西から北東に向けて写しました。
つぎに、他の方から、もう一つご説明を受けた別説です。こちらは、フォッサマグナのような見た目でも分かり得る地形から導き出したものではなく、統計的に地震が多い地域を、図示したものです。内閣府の防災用サイトに載っています。「新潟-神戸歪集中帯」といいます。「歪」は「ひずみ」と読む。図の下の説明に、過去起きた主な地震の名が載っています。中越・中越沖も含まれる。
http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1858_hietsu_jishin/pdf/10_column2.pdf
文中にある1995年の「兵庫県南部地震」(地震の名)は、「阪神・淡路大震災」(災害の名)を引き起こした地震です。濃尾地震でできた巨大な断層を、見てきたこともあります。これは断層云々という地質学的なアプローチというより、「多発地帯につき御用心」という注意報であるというのが、私の理解です。実際、静岡も東海地震で散々脅され続けたため、地方公共団体による耐震行政は優れています。うちの実家もずいぶん手直ししてもらいました。
今年は全国的に秋の気温が高かったようで、10月末にお邪魔した新潟でも、楓の紅葉はほとんど色づき始めていた程度でした。これは例外的に綺麗だった。さて、当時の長岡のお話しの続きで、駅周辺の長岡市街も、ずいぶん揺れて古い家屋の倒壊も少しあり、また、この地震は余震が大変多かったため、地元の人だけでなく、山古志のような山間部から市街地に避難してきた人たちは、心理的にずいぶんと怖い思いをなさったそうです。
このため、通常は避難所というと市の学校を使うそうですが、このときは県立高まで開放し、何週間という単位での避難が続いて大変だったそうです。15年経ってから訪問した私の眼には、長岡市中心部はもう復旧復興も終わり、社会経済活動が進んでいるようで何よりですが、先回も書いたように、結局は元いた村には戻ることができず、長岡市街や新たな開発地に共同体ごと転居したところも少なくない由。
地震も怖いが、今年(2019年/令和元年)は大型台風が多く、特に長野県から福島県にかけて大きな被害をもたらしたのが台風19号でした。あのときは、信濃川が二か所だったか水が堤防を越えて、長岡でも一部、浸水の被害が出たとのことです(恥ずかしながら、それを聞いたとき初めて知った)。信濃川の上流河川の一つ、千曲川が大洪水になったのは記憶に新しい。
私自身は千曲川と聞いても、上高地の清流しか知らず、テレビや写真を見てたいへん驚きました。長岡でお聴きしたところでは、長野で大雨が降ると16時間ぐらい後に、下流部の新潟に水が来るそうですから、大河ならではのこういう時差も用心が必要です。この台風では、私の親族も警報で避難所に一泊しました。幸い自宅の被災はなかったのですが、殆んど風雨がなかった南東京の平野部でも、多摩川や墨田川が溢れました。天災おそるべし。
ここに改めて、現地でお世話になった多くの親切な方々に厚く御礼申し上げます。地震も台風も、これで終わりというものではない。私は力仕事のようなボランティアや救命活動はできませんが、少しでも教訓を残し、分かち合えたらなと思っております。
(おわり)
長岡市郊外にて (2019年10月31日撮影)
雨が降っても嵐が来ても槍が降ろうとも
みんな家に帰ろう 邪魔させない
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