おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

確定申告の時期に  (第1193回)

 前にも書きましたが、2011年3月11日、私は自宅事務所で、個人事業の経理の仕事をしていました。記憶では一日か二日前に、2010年の確定申告作業は終わり、その勢いで、2011年分の会計処理も一気に片付けようと、伝票やエクセルと格闘しておりました。

 最初の縦揺れを、はっきり覚えています。地震は道路一本隔てて揺れ方が違うといいますし、拙宅はマンションの中層階とあって、あくまで我が家だけの揺れ方です。ご記憶のかたも多いと思いますが、その二日目にも、今では余震だったろうとみなされている地震がありました。そのときの縦揺れと同じ程度でした。


 このため、さして慌てず、ただしテレビはつけました。これは十代のころから故郷の静岡に間もなく「東海大地震」が来ると脅かされ続け、最近は富士山も休火山とは呼ばれず、噴火の可能性無きにしも非ずですから、田舎の実家や親せきが心配なので、有感地震の際は反射的に震源地を確認しています。

 NHKの総合放送が写り、ちょうど国会中継中で、議員さんたちがそろって議事堂の天井を見上げていたのを覚えています。そのころには、あの長い長い横揺れが始まっていました。ちょうど座っていた場所あたりに、棚から本や文房具が落ちて散らばった。でも、幸い当家の物損はそれだけでした。


 しかしこれまで経験したことのない強い揺れでしたし、住まいのある地区の震度5弱という観測値も、いまに至るまで最強度です。家族親戚にケガ人は出ませんでしたが、帰宅難民、ご親族を失った知り合い数名、昔あそんだ地域が壊滅したという友人も何人か。

 拙宅では、まずガスが自動的に止まり、これは手動で復活させましたが、所轄の浄水場セシウムが基準値を超え、しばらく水道水が飲めず、近所の店という店から、水やお茶が消えました。


 その時に身につけた習慣、例えば携帯通信機器はある程度までは必ず充電して持ち歩く、しばらく困らない程度の現金も手元に置き、複数のクレジットカードと相応の預金残高も確保しておくといった習慣は今も変わりません。おかげで外勤時や旅行時の手荷物が重いこと重いこと。

 そういうわけで、私にとって東日本大震災は、(1)日々の荷物の重さと充電により、(2)年一回の割合で被災地を訪れることにより、(3)そろそろ確定申告の時期になると、地元の税務署がリマインドの葉書を下さることにより、風化する余地が無い。


 今朝のニュースでは、まだ行方が分からない方が、2千5百人を超えているという報道がありました。捜索活動も、定期的にか断続的にか、まだまだ続けてみえるし、故郷を離れたままの方々もいる。うちのそばを走る常磐線はいつになったら全線復旧することか。

 確定申告は毎年、3月11日付で税務署に提出しています。今年は、実際の作成日も本日、3月11日になり、先ほど簡易書留で郵送して参りました。本日の東京、朝から雨風が激しかったのですが、昼ごろから晴れました。最後に今日、撮った写真を並べます。


(おわり)




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