おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

日和山の秋  (第1187回)

 11月14日は、前日無事に大川小学校方面への遠出を果たしたので、足もくたびれたし、石巻市街をゆっくり歩くことにした。地図で見ると、芭蕉曾良が訪れたという名勝、日和山が徒歩で行けそうな範囲にあるので、午前中はその地を目指す。

 まずは、前日の新北上川に続き、本日は旧北上川の堤防に出た。今日も快晴。ゆったりした流れ。さて、背の低い山が並んでいて、これがそうだろうと決めつけて登ったら、やはり違った。石巻神社と書いてある。季節はちょうど、イチョウの黄葉が綺麗なころで、楓の紅葉はこれからが盛りという感じ。



 日和山はその隣のほうにあった。ここにも神社があるほか、戦国時代の城跡あり、芭蕉曾良の像ありと賑やかであるが、何と申しても眼下の石巻湾の景色が雄大です。海岸はかつて、白砂と松原の綺麗な砂浜が広がっていたらしい。やがて、民家が増え、工場が立ち、そして津波がさらっていった。

 そういう説明板がなければ、いま沿岸で工事が行われている地帯の、既に建っている工場やまだ目立つ更地などは、埋め立てしたばかりの新規の工業開発地域であるかのように見える。今は、民間家屋の新設が禁止されていると書いてあった。当日、この日和山にたどり着いた方々は、助かった。小学生もおおぜい避難したらしい。




 シキザクラが咲いていた。芭蕉曾良も立っていなさる。鳥居は正面が海に向いている。ちょうど海面が日光を反射している時間帯で、これをゆっくり眺めるべく、海に向いたベンチに腰を下ろした。地元の方々と思しき、年齢はそれぞれの男性数人が、いつものように集まっているという感じで、周囲にいらした。

 そのうちのお一人が、一人でぼんやりしている私に声を掛けてきて、「どこから来たね」と今度は意味の分かる方言で聞いてこられた。十歳余り年上の感じ。「東京です」、「自動車か」、「いえ、電車です」、「自転車?」。話題を変えた方が良さそうだったので、お近くにお住まいですかという、いつもの質問をした。

 彼は「地形が変わってしまった」と言いながら下の新しい工業地を指し示し、「女房も家も流された」と言った。いきなり、そう言われても、「それは大変でした」としか言えない。その前後の会話で、ご老人が如何ほど、その奥様を大事にし、自慢にしていたか、よく伝わってきた。


 いつからここにいるねと訊かれたので、「昨日は、飯野川から大川小学校まで歩きました」とお伝えする。相手は驚いたというよりは、呆れたという感じで仰け反り、「あんなの、ここじゃ誰も歩かんぞ」と言われた。異論ありません。

 「あそこは、大勢亡くなったんだな。八十人以上だったか。」と仰る。これは大川小学校の教師・児童の死亡・行方不明者の数、84人(教師10名、小学生74名)のことだろう。昨日見た学校名の入った献花台を思い出した。あれは学校の正門だったそうだ。


 私は「子供が大勢亡くなって可哀そうでしたね」と言い添えた。それに続いてお相手が、「確かに子供は可哀そうだが...」と海の方を見たとき、取り返しのつかない失敗をしたことに気づいた。家族を失ったご遺族の悲しみに、亡き人の年齢は全く関係が無い。痛恨の無作法、大失敗だった。

 もっとも、彼の念頭に浮かんだのは、別の事柄だったらしい。「長引きそうだぞ、裁判は」と言った。「最高裁に行くかもしれないと聞きました」と仕入れたばかりの情報で追いかける。「テレビで、原告の話を聴いていても、どうもピンと来ないんだ」という。遺族もいろいろだという話を聴きましたと、おそるおそる付いていく。もう二度と、下手なことは言えません。


 「この辺じゃ、三千人も四千人も死んでるし、消防や警察はみんなだめだった」という説明の数字は、石巻市の被害者数なのだろう。「住民を救けて回っていたんですよね」と言ったら、「そうだ。だから、お役所は訴えられん」と言ったまま、それまで饒舌だった人が黙った。

 この話題は、私でさえ疲れる。まして関係者にご無理なお願いはできない。この話は切り上げた方が良いと思った。同じ災害のご遺族でも、同じような悲しみを分かち合うことができないことがある。


 幸い助け舟の如く、周囲の人たちが集まってきたので、世間話になった。すぐ目の前にある旧北上川の河口付近は、間もなく本格的な防潮堤工事が始まるらしい。「立ち入り禁止かな」、「釣りっこができなくなるぞ」という懸念があるらしい。

 芭蕉曾良金華山を見たと聞きましたという話題を提供したところ、「見えん」と、にべもなく否定された。なんでも金華山は、牡鹿半島と同じくらいの高さで、ちょうど半島の裏側にあるため、「見えん」のだそうだ。

 最近、あのへんの神主が報道の沙汰になったという話が出たので、東京の新聞で読みましたと言ったら(神の島にゴミの不法投棄をして逮捕)、「もう全国区か、しかもこんなことで」と皆で大笑い。


 それより、私の発音は「きんかざん」と濁ったのに、彼らのは「きんかさん」と軽やかで、このほうが金貨の山みたいで、きらびやかでよい。気に入ったので、これから借用しよう。

 ちょうど、正午になって、彼らも一人二人と帰っていった。今はみんなしてホームレスだと一人が言っていたが、仮設住宅のことなのだろうか。家屋はあっても、家庭はないのだろうか。日和山の公園は、小さな山の上にしてはけっこう広く、その後一人で、しばらく散歩した。



 ここにも、宮沢賢治石巻に修学旅行にきて、初めて海を見たらしい。交通手段は、川蒸気とある。そういえば、何年か前に盛岡の中心地にいったときも、北上川が流れていた。えらく長い川なのだ。

 もう一度、その旧北上川の堤防脇に戻り、いったんホテルで軽い昼食を片付けてから、滞在中最後の半日の行き先を決めた。あまり時間はないが、そこも辛い目に遭った。隣町の女川。



(つづく)





2018年11月14日撮影。
上: 旧北上川を流される小枝と赤とんぼ
中: 石巻神社の鳥居とイチョウ
下: 日和山の紅葉









 物言えば唇寒し秋の風  − 芭蕉
















































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