前回の続きです。浪分神社からの復路は順調で、バスと地下鉄を効率よく乗り告げたので、日暮れまでの時間帯に仙台城址に行くことにした。見たいものが二つある。お馴染み伊達政宗像と、正岡子規が随筆「病床六尺」に書いた鵄(鳥のトビ)の像。
後者のトビ像は、子規が他界した1902年に造られ、仙台に送られたという。それが東日本大震災の揺れで、設置してあった石碑の上から落ちてしまった。それが何年か後に、ようやく修復されたと新聞で読んだ。
子規の件については、別のブログに書きましたのでご参考まで。このサイトの第107回と、次の第108回。
http://d.hatena.ne.jp/TeramotoM+masaikashikisakanouenokumo/20170425
また、今回の仙台行きで、この像を見つけた話も別途、記録しました。
http://d.hatena.ne.jp/TeramotoM+masaikashikisakanouenokumo/20171114#1510642522
仙台城址には、最寄りの地下鉄の駅から歩いた。ちょっと距離がありそうだったが、このくらいなら旅行するときは歩く。私は体が弱いから、その気になったときには運動しないといけない。
しかし頭も弱くて、このルートはひたすら上り坂であった。しかも、まだホテルにチェックインしていなかったため、重い荷物を抱えたまま。魯迅の石碑に着いた頃には、息が上がっておりました。みっともない。
この城は平城ではなくて山城だったのだ。立派な石垣の辺りまでたどり着いたころには、そろそろ暗くなりかけていた。
山頂の見晴らしは見事なものだ。仙台の市街地や広瀬川が流れる岸部、遠くに太平洋も見える。うちの近くを取っている国道4号線(奥州街道)は仙台市内も通る。理論的には曲がらずに歩いて行ける。
その眺めを楽しんでいたら、団体さんが来た。「アメリカはどっちだ?」などと、若い女性のガイドさんを困らせている。まともな質問もあって、私も不思議に思っていたのだが、「青葉城と仙台城は、どちらが正式名なのか」と、おっちゃんが訊いている。
ガイドさんいわく、昔から地元では青葉山のお城なので青葉城と呼んでいたが、明治のころだったか、全国的に城の名を地名に合わせたので、仙台城(正式には城址)となっている。
やがて日が沈み、帰ることにした。もうあの長距離は下り坂でも避けたかったので、コミュニティ・バスに乗ろうとしたのだが、バス停まで行ったら最終便が出た後だった。また歩いた。2キロやせた。
広瀬通りに面したビジネス・ホテルに泊まり、青葉通りを散歩してから、牛タン定食をいただく。美味かった。翌朝は早起きして、JR東北本線の仙台駅から名取駅まで移動した。二日目の訪問地は、名取市にある閖上地区。
(つづき)
伊達さん (2017年11月12日撮影)
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