おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

東日本大震災の教訓  (第1217回)

 少しタイトルが大げさかもしれない。私は地震学者でもないし、救命のプロでもなく、単に家が揺れた程度の被災者だ。さはさりながら、近くの浄水場セシウムが基準値を超え、しばらく水道の水は飲めなかったし、近所から飲み物が消えた。家族親戚まで範囲を広げると、帰宅難民や計画停電や物損で困った。知り合いの知り合いは、何人か津波で亡くなった。

 今年の慰霊式典は、やむをえないが、新型コロナウイルス感染症の影響で、取りやめになると報道で知った。今年で9年だから、節目の来年には、もうこの煩わしい疫病も終息するように。別の新型が出ませんように。

 いらぬ心配をしているのではないと思っている。今回のウイルスはSARSやMARSの親戚筋にあたるそうで、つまりこれまでの頻度でいうと数年に一回は、発生している。これは、たまたまかもしれない。すなわち、突然変異は人知れず頻繁に起きているかもしれなくて、それがヒトに感染して広まった実績を知っているにすぎない。

 これらの元々の感染源は、コウモリやらラクダやらではないかと取りざたされている。ペストのネズミ、マラリアの蚊、狂犬病のイヌ。いずれも身近な動物が運んで来たり、直接、病原体を悪気もなく手渡してくる。次に何がそうやって登場するか、知れたものではない。


 東日本大震災のあと、無宗教の私でも、死生というものが気になるようになった。歳のせいもあります。自分の老化と、親の世代のお迎え。それにしても、先日のニュースでは、まだこの震災だけで行方不明の方が千人台みえるという。まだ探し続けている人がいる。

 うちの伯父は戦死したまま、遺骨も遺品も、戦死の場所や日時の情報も全くない。おそらく私が死んだあとは、誰も気にしなくなる。でも戦後生まれで面識のない甥でさえ、こんなに子供のことから今に至るまで頭から離れない(毎日考えているわけではないですが)。まして、さっきまで一緒に暮らしていた家族や友人を失うとは、どれほどの心痛か。


 それにして昔も今も世話になっている常磐線の復旧はうれしい。しかし残念ながら、戦争も震災も、風化してはならないというけれど、いつの日か歴史の教科書や、小説その他に書かれたものが残るだけのことになる。今はネットに画像が残るが、例えば百年後に誰が検索するだろう。おそらく同じ惨事が起きたときぐらいだ。

 語り継ぐといっても、上記の程度の被災だから、深刻な当事者が大勢みえる時代に、偉そうなことは書けないけれど、せめて自分が考えていることや、実行していることぐらいは、その日付が来ようとしているこの時期ぐらいは話題にしよう。


 大きな被害が出てから、信仰も持たないのに、宗教の本を読んだり、宗教家や宗教学者の意見を聴くようになった。その中でも特に印象に残っているのが、お名前は忘れたが、新聞か雑誌で読んだお坊さんの短い一言。一字一句覚えているわけではないが大意、以下のとおり。

 仏教は殺生を禁じている。一方で、生きていくためには殺生をしないわけにはいかない。いつまでも殺生が無くならないからこそ、いつまでも仏教は殺生してはならないと説く。


 その残酷さと、有難さに向き合い続けろというふうに受け止めている。殺生は食事のためだけではないです。マラリア蚊や危ないネズミを駆除し続けなければならない。同じ生き物だ、手塚治虫の影響だな、これは。

 事のついでに、宗教から離れて、あの震災以降に変わった生活習慣に触れる。もうみんな、やっていることかもしれない。でも、しばらくやって、止めてしまった人や、まだ気づかないだけでやっていない人がもしいれば、少しは他人様のお役に立てるかもしれない。


 あのときから、家族で役割分担し、水と食料の備蓄は家人に任せ、私は通信と財布の担当。一人でPC2台、タブレットスマホが一台づつある。携帯用のラジオもある。リチウム電池は、充電しっぱなしにすると傷むと聞いたので、毎晩寝る前までに100%にして、就寝直前に充電器から外す。家族の端末もあるから、交互に使えば、停電しても相当長いこともつだろう。

 LANは主に、仕事で有線、私用では無線を使っている。電池も必要です。マウスや予備電源などのアクセサリ、懐中電灯とラジオ用の電池は、乾電池の在庫があるほか、充電用のものを普段使っていて、三の倍数月に充電している。今月もこれを書き終えてから作業です。ITウイルス対策ソフトは、重くて高いが、企業用のものを入れている。そしてこれらを日々、ちょっとでも使うようにしている。機材も操作の腕も錆びつかないように。


 外出するときは、海外に行くときも含め、できるだけ、これらを担いでいく。重たいですが、実際こうするようになってから、何度か役に立っている。また、お金も必要なので、自宅用と携帯用に、盗まれても困らない程度の現金は常備しており、クレジット・カードとデビット・カードも何枚かずつ持っている。車が無く電車によく乗るので、交通系のカードが多い。以上のうち、幾つかは耐火金庫に入れてある。まあ個人で日ごろ続けていけるのは、このくらいです。

 これで9年間、変わらない。自分の頭か体が動かなくなるまで続ける。もう日常の生活習慣になっているので、手間も労力も経費もたいした負担にならない。これが震災被害に遭われた多くの皆さんから頂戴し、引き継ぎ、実践している教訓です。自分の立場で、語り継ぎ風化を防ぐには、これが一番かなと思う。



(おわり)



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根津神社にて  (2020年3月1日撮影)





 いきているから かなしいんだ

  ”ぼくらはみんないきている” やなせたかし





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