おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

2014-01-01から1年間の記事一覧

ホームレスの大みそか (20世紀少年 第915回)

愛読者諸賢におかれましては、せっかくの年の瀬に何だこのタイトルはなどと心の狭いことは仰るまいと思って選びました。漫画では今日から明日にかけて、秘密基地の仲間は忙しい。 しかし、20世紀の終わりに彼らを救い、ケンヂにいろんなことを教えてくれたと…

やな年になるぞと神様は言うけれど (20世紀少年  第914回)

ここ数か月間、精神的・時間的な余裕もなく働き続けてきた仕事は、とうとう年越しになった。とはいえ年内の作業は終えたので、久しぶりにブログを書き申す。この国の報道機関は、年末になると記事のネタも底をついて、その年に亡くなった方々の特集を組むの…

”ともだち”は重力に縛られない  (20世紀少年 第913回)

ということらしい。どうやら小学校の理科室以来、宙に浮くのが好きなようだ。何とかと煙は高いところが好きなのだ。もっとも本当は縛られているらしく、嘘つきも同様に健在らしい。 しかも、同じころ我が国では現実に座ったまま宙に浮く教祖がいたようなので…

ばんぱく ばんざい  (20世紀少年 第912回)

どうだ。先週、万博で有名な大阪に行ってきました。駅舎を出るとお好み焼きの匂いに、串焼き屋の看板。一泊二日の出張で用事が二件あったのだが、両件は少し間が空いていたので、少し足を延ばして万博記念公園に参りました。二十年ぶりぐらいで太陽の塔も見…

シャイニング  (20世紀少年 第911回)

お久しぶりです。長いこと投稿していなかったので、このブロガーは他界したのではないかと思われていたかもしれない。生きてはいるのだが、独立開業以来、他に比べ得る時期もないくらい今年の夏から秋にかけては忙しく、9月上旬に宮古島に旅行して以来、終日…

明治百年 昭和百年  (20世紀少年 第910回)

少し前に雑誌を読んでいたら、明治百周年なるものを取り上げた記事があった。仮にそのまま明治が続いていたら、明治100年は西暦でいうと1968年にあたる。ケンヂたちは小学校3年生、私は2年生。(訂正:1968年は満100周年記念。年号が続いていたと仮定すると…

おまけ  (20世紀少年 第909回)

感想文らしきものは前回で書き終えたのですが、若干、言い洩らしたなと感じたことを追記します。両方を観た方はご存じのように、この映画は劇場公開時の約2時間のヴァージョンと、その後に監督が大幅に追加延長した約3時間のヴァージョンがある。今回、私が…

過去のおわり  (20世紀少年 第908回)

前々回と前回の続き。アルフレードの葬儀に参加したトトを迎えた村の人々の反応が興味深い。男たちは穏やかに黙って彼と目を合わせるばかり。他方でトトの母親や、アルフレードの妻のアンナおばさんや、エレナは堰を切ったようにトトを語り、アルフレードを…

次の館長 最後の夜  (20世紀少年 第907回)

前回の続き。神父さんの後任の映画館長には、ナポリから来た男が就任した。まさかの火事で、シネマ・パラダイスは焼け落ちてしまう。直前まで映写技師の好意により、屋外の急設スクリーンで映画を楽しんでいた群衆は、炎と煙に恐れをなして恩人を置いたまま…

A Day in the Paradise  (20世紀少年 第906回)

もう二年も前になる。カンナが鳴浜町に向かうくだりで、映画「ニュー・シネマ・パラダイス」を引き合いに出した。その後、同映画の愛好者でもあられる●ンヂ様より度重なるコメントを頂戴したこともあり、もう一度観て、もう一度書きたくなった。これから三回…

ユーキとムボーについて  (20世紀少年 第905回)

こういうことを言うのは私だけかもしれないが、少年時代のヤン坊とマー坊の笑顔はけっこう可愛い。もちろん充分にくたらしいが、陰険な顔立ちではない。弱い者だけをいじめる訳でもない。 正義の味方を志したケンヂではあったが、当面は双子に歯が立たないた…

しばらくブログを休んでおります

生きておりますが、夏バテと急ぎで大型の仕事が重なっており、他の仕事をお断りしたり、先延ばしにしたりと対応に追われています。 夏バテのほうは、なぜか今年の東京は9月に入って涼しい日が大半であるため、ようやく落ち着いて参りました。このまま大人し…

脇役  (20世紀少年 第904回)

今日は映画の脇役を演じた役者さんたちについての雑談。すでに話題にした主役級の俳優は、今回は省きます。それにしても、ずいぶん似ている人やら、意外な人やら頑張って集めたものだ。予算手当も日程調整も大変だったろうなと先ずは裏方さんに御礼。 比較的…

自作自演 (20世紀少年 第903回)

1960年代前半にビートルズやストーンズやボブ・ディランらが群がり出て、作詞・作曲・演奏・歌唱を全部、自分(たち)でやるというスタイルが流行り、定着した。日本でもフォークやロックの草分け的な大先輩や、グル―プ・サウンズからニュー・ミュージック(…

ケンヂおじちゃんの誕生日  (20世紀少年 第902回)

今日も雑談。8月20日はケンヂおじちゃんの誕生日。漫画の中の2014年8月20日の東京は異常な寒波に襲われて、当日おじちゃんが消え去った新宿に七龍のラーメンをお供えにでかけたカンナは冬服であった。 服装については、ともだち歴3年の同じ日に武装蜂起改め…

小道具 (20世紀少年 第901回)

今の仕事が一段落したら甲子園まで母校の応援に行こうと思っていたのだが、仕事の腕が悪くてその前に敗退してしまった。一点差の好試合だったが、やはり校歌を聴きたかったので残念。ともあれ後輩の野球部員たち、よく戦った。よくここまで来た。 今日も甲子…

ブーゲンビリアの花咲く南の島へ  (20世紀少年 第900回)

今回はかなり論調が攻撃的というか乱暴というか、素敵な読後感など全く保証できないがせっかくの900回記念なので自分のために書く。最初にお断わりしておくと、私は5年ほど楽しく働いたり遊んだりした国とあって、アメリカは一番好きな外国だが、もちろん何…

エボラ出血熱のことなど  (20世紀少年 第899回)

3年くらい前にこのブログでエボラ出血熱のことについて書いた覚えがある。ウィルス性の伝染病で、文字どおり出血して死に至る病である。これが”ともだち”の全身から血が出る何とやらのモデルになったのではないかと書いた。1995年ごろ本や映画にもなった。 …

月 (20世紀少年 第898回)

少し前の金曜日、一仕事、終えてから連れと神田で飲むことになった。駅を中心に安いお店が多いところだが、週末の夕方とあってどの店も満員である。ようやく店先に臨時の机と椅子を並べてテーブルを作っている居酒屋の前を通りかかり、3席のうち1席だけ空い…

私はカモメ  (20世紀少年 第897回)

二三年前に藤原の竜っちゃんの主演で、「かもめ」の舞台を観た。最初に彼を観たのはたぶん「バトルロイヤル」だと思うが、声が良い男だから舞台が似合う。戯曲「かもめ」は露国チェーホフの代表作である。記憶では主人公は二回、発砲し、運悪く二回とも命中…

私はゴジラ (20世紀少年 第896回)

先月、静岡県の焼津に行ってきました。恩師の告別式に出たのである。私自身は仕事の関係で出席できなかった今年正月の同窓会に、先生は出てみえたと聞いていたので、では久々に来年お会いしようかと思っていたら、また痛恨の判断ミスをやらかしてしまったの…

今日は雑談集 (20世紀少年 第895回)

【ご案内】 今日から、これとは別に二つのブログを新たに始めました。一つは、遠縁の一族に伝わる古文書らしきものについてで、これが本物なら私は血のつながりこそありませんが黒田官兵衛の親戚筋です。もう一つは、正岡子規と「坂の上の雲」の感想文です。…

人類滅亡 (20世紀少年 第894回)

ジョニー・ウィンターが亡くなった。確かアルバムを一枚持っているだけで、大ファンという訳でもないのだが、個性的なギタリストだった。最初はブルース風で段々とハード・ロック的になった。 2011年の春、原発が爆発して外国人がさっさと逃げていく中で、彼…

20世紀乗り物 (20世紀少年 第893回)

つい先日、仕事で群馬県の太田市に行く用事があった。太田は初めて行く土地であったが、スバル町という地名もあるほどの自動車スバルの地である。工場や物流拠点が点在している。スバルには愛着がある。かつて父が働いていた会社なので、我が家の自家用車は…

もう少しサッカーのこと

先週だったかサッカーを話題にしたのだが、辛辣なことばかり書いたため後味が良くないので、ちょいと口直しをしたくなりました。今回は昔話です。まずは10年ほど前に読んだ漫画のお話しから。行きずりの中華料理店かどこかで、置いてあった漫画雑誌を手に取…

映画 (20世紀少年 第892回)

映画「20世紀少年」の「DVDセット」というのを買って何回か観ました。定価10,000円と書いてある。今の私にとっては巨額の投資であるが、おかげさまで楽しませてもらった。以下、映画をまだ観ていない人はご注意ください。 あの漫画や、あの時代をとてもうま…

サッカーのルール、西村主審の判断

今回も「20世紀少年」とは無関係です。日本代表はグループ・リーグで敗退した。もう少し観たかったが、残念ながら惜敗というような負け方ではなかったと感じているので仕方がない。あと4年ぐらいは生きているだろう、多分。以下、サッカーの本格的な訓練は受…

2014年 クウェートの返礼 (釜石〜陸前高田〜気仙沼)

湾岸戦争が始まったとき、私はアメリカ合衆国のサンフランシスコにあるオフィスで働いていました。1990年のことである。いつもは朗らかで強気な米国人の若い同僚たちが、「テラモト、俺は兵隊にとられるかもしれない」と真っ青な顔をしていたのを今でも覚え…

三陸海岸を歩く (山田〜大槌〜釜石)

前回引用した近所の作家、吉村昭「三陸海岸大津波」の最後の辺りに、「私は、津波の歴史を知ったことによって、一層三陸海岸に対する愛着を深めている。」という箇所が出てくる。そして「私は、今年も三陸海岸を歩いてみたいと思っている。」という一文で終…

岩手行 (盛岡〜田老〜宮古)

東日本大震災が発生してから、年に一度、被災地に行くと決めて4年目に入った。初回は宮城、2回目は栃木と茨城、3回目は福島、そして今回は5月の半ばに岩手に行ってきた。行先と季節がこうなった理由は、その初日に同窓会の先輩のツアーに便乗させてもらった…