おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

花蓮  (第1146回)

 初めて見たとき、なんて綺麗な地名だと思った。うろ覚えだが現地ではファーリェンというような発音だった記憶がある。2007年に台湾旅行に行った。そのとき三泊のうち二日が台北の泊りで、一日だけ花蓮に宿泊した。先日(2018年2月6日)、大きな地震で被害が出た台湾中央部の地方都市。現地の皆様のご無事をお祈りするばかり。

 一人で旅行に行くときは、もっと長い日程を考えるのだが、このときは母が「生涯最後の海外旅行をするので、ついてこい」というから、出来合いのパック旅行についていった。ほぼ全行程、現地ガイドさんが同行してくれたので、役割は荷物持ち。私の旅費も私持ち。


 旅行の思い出というものを品物で保管しないため、ガイドブックもパンフレットも何も残っていない。デジカメの写真データだけ。このため宿泊したホテルの名も分からない。日本人が利用するホテルに被害があったようで、これも心配だ。電車の中から撮った写真、ホームにて。

 花蓮の旅で覚えているのは、渓谷や洞窟のような景勝の地を案内してもらったことと、町中を車で流してもらったときのことだ。日本の植民地時代に建てられたビルが、今も地方政府などで使われているらしく、ガイドの謝さんに一つ一つ教えてもらった。


 謝さんは、この旅行を命じた私の母と同い年で、昭和八年うまれ(おそれおおくも今上と同じである)。二人とも、終戦の年は小学校の最終学年だったという話で盛り上がっている。謝さんの日本語はたいへん流暢で、母より遥かに礼儀正しい。

 それまで全く知らなかったのだが、花蓮には先の大戦中、特攻隊の基地があった。いまの日本(当時の、いわゆる本土)では、聴いたことがない話だが、ここでは特攻の前夜に酒が出た。「酔った若い兵隊さんが、街中で暴れてねえ」と謝さんが微笑んでいる。私には返す言葉もない。


 花蓮の郊外の山で出会った少数民族の娘さん達が、目が覚めるほど美しかったのを覚えている。その4年後、2011年3月に起きた東日本大震災において、台湾が巨額の義援金を贈ってくれたことをご記憶だろうと思う。世界一だったはずだ。国交もないのに。私は何かお返しをしようと思っている。


(おわり)



花蓮の山  (2007年2月28日撮影)





































.