おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

風化  (第1148回)

 毎年この時期になると、東日本大震災に関連する報道が増える。今年は単なる気のせいなのかもしれないが、風化という言葉をよく耳にしているような感じがする。たぶん自分に言われているような気がするからだろう。

 これでもまだ、震災でいえば阪神・淡路や熊本と比べると、発生した年月日を覚えている分、個人的な風化の度合いは少ない方だ。理由は、はっきりしている。自分があの地震で揺られたからだ。しかも、そのあとに居住地の浄水場セシウムの濃度が合格レベルを超えてしまい、しばらく不便があった。


 日本中・世界中の災害や戦争の被害を、個々人が、全て我が身のこととして悲しみや苦しさを抱え込み続けていたら、精神的につぶれてしまう。被災地との距離や時間の経過に応じて、私たちは段々と忘れていく。それでも、関係者(特に被害者や遺族)は、それをご存じのうえで、風化させてはならないと仰る。なぜだろうか。

 この先は推測で物を申す。しかも、読まれた方の中には、たいへん嫌な思いをされる方が出るかもしれない。ではなぜ書き残すのかというと、風化させないためにはどうすればよいのか考えるために、こういうステップを踏むのも必要だろうと考えているからです。お一人からでも、抗議を頂戴したら消します。


 率直に申し上げると、まずは政治や行政に忘れてもらっては困るという悲痛な訴えが混じっていると思う。未来永劫、災害支援が続けられないことは、理屈の上ではみんな知っている。しかし、経済インフラの復旧がどんどん進んでいるのに、仮設住宅はもう終わりと言われたらどうする。すでに地方によっては、状況によっては、それが始まっているらしい。

 特に原発事故で遠くに避難した方々の多くにとって、事態は深刻であると思う。放射線量の現状や、それによる被害(の可能性も含め)について、学者や団体によって云うことが違うということは、まだ科学的にわかっていないか、政治経済的な思惑が絡んでいるのか、どうやら両方だろう。


 それなのに、居住地における避難の指示やら勧告やらは、どんどん地理的な範囲が狭まっており、「それでは、お戻りください」と一律に言うのは苛酷だろう。私の理解では、東京電力福島第一原子力発電所は、残念ながら今なお「活火山」である。

 また、TBSがネットでも報道してくれたおかげで知ったが、この震災の行方不明者は、いまなお2,539名もおり(警察庁発表、報道日は今月6日)、被災者の何割かにとっては、震災は生涯続くものだと思う。

 私は今のところ自然災害に限れば、このような大規模なものに遭ったことがないし、親しい者を失ったこともないが、祖父の命を奪った交通事故は、死ぬまで私の人生だ。


 風化を防がなければという気持ちは、まさか上記の公的支援に関するものに限ったことではあるまい。他にも例えば、これも語弊がありそうだが、ともに語り悲しむ相手が多ければ多いほど、分かち合える分だけ、少しでも辛さは減る。忘れてもらっては困るのだ。一人でも多くの人に覚えておいてほしいはずだ。

 この点は、逆に小規模な災害で大切な人を失くした方々が、身に染みてご存じだと思う。特に毎年繰り返される、台風や梅雨時の集中豪雨や竜巻や豪雪の被害は、積み重なる新たな情報の中に埋もれてしまう。


 先の戦争も同様で、この稿をアップしようとしている日の翌3月10日深更に始まった東京大空襲や、広島・長崎・沖縄で亡くなった方々の慰霊祭は毎年行われる。なぜなら、煎じ詰めて言えば死者が莫大に多く、且つ場所なり原因なりが歴史に残るものだったからだ。

 うちの田舎の静岡は、記録に残るだけで26回の空襲を受けたそうだが、墜落したB29の米人乗務員の慰霊塔はあっても、亡くなった一般市民の碑のようなものは、聞きまわったことがあるが誰も知らないところを見ると、たぶん無い。伯父の戦死日を覚えているのは、私だけのはずだ。こういうことに対する対応は、国も世間も、どうしようもなく理不尽のままなのだ。個人の努力で、どうこうできるのにも限りがある。


 とはいえ、再発防止や善後策のためにも、当事者が語り継ぐということは不可欠です。津波がここまで来たとか、避難したあとで何に困ったとか。幸い今は、こうして個人がかなり自由に簡単に、情報を発信し記録を残すことができるようになった。でも、そのかわり昔以上に、新しいものやスキャンダラスなものばかり目立つ仕組になっている。

 先ほど、阪神・淡路大震災は、わたくし個人にとって、東日本大震災と比べると風化が進みつつあると正直に書きました。でも少し復活したのです。去年、三陸海岸津波被災地にいったとき、まだあまり育っていない小さな樹の根本に、小さな杭が立っていて、阪神・淡路大震災の被災者有志一同という意味のことが書いてあった。取り留めもなく終わります。





(おわり)



 




谷中と根津にて (2018年3月2日・3日撮影)




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