半世紀も生きてきて、結局、地震のことは何も分かっていない。私だけでなく、おそらく誰もみな。津波など滅多に来ないと勝手に決めていたら奥尻島に来た。関西は火山が無いから地震は少ないと思い込んでいたら、阪神淡路が来た。中越で終わったかと思っていたら中越沖が来た。チリ津波は私が生まれた年で遠い過去のことだと油断していたら、半世紀後に三陸が被災し拙宅も揺れた。
ようやく穏やかな春になったと思いながら、先週14日は都内にいて、執務机で事務仕事をしていたら、震度2か3ぐらいの縦揺れが来た。マンションにいるので、独特の「ビシッ」という音がするのだ。それだけで終わった。もしもテレビをつけっぱなしにしていたら、そのあとで熊本の最初の震度7のニュースが入ってきたはずだ。この二つが関係あるのかどうか、ここ東京でも意見が割れている。議論したとて答えは出ないが。
今回の一連の震災も、初めて聞くような話が多い。そもそも、震度7の前震なんてものがあるのか。震源は複数箇所にわたり、震源地の広さは東日本大震災よりも大きくなって、内陸の地震では稀有のことだという。活断層が阿蘇山まで続いているのも、新たに分かったらしい。
最初の大揺れで避難して、自宅を片付けに戻った人が、よりによって夜中に襲ってきた本震でおおぜい亡くなった。雨が降り、土砂崩れが加わった。もう専門家もお手上げの様子だ。これだけ人を驚かすなら、突然、余震が止まるくらいの新しい技でも見せて、おとなしくなってほしい。
このたびの震災で、また、その後の長引く避難生活の厳しさで亡くなられた皆さまのご冥福をお祈り申し上げます。さらに親しい人を亡くされた方々、家や職場を失った方々、いまなお避難先で忍耐と苦労の日を重ねていらっしゃる方々にお見舞い申し上げます。
この記事を書き始める直前にも、東京がまた揺れた。今後は縦のビシッという揺れに続いて、ゆっくりとした横揺れがしばらく続いた。この横揺れの周期が大きいほど、建物の被害は大きいらしい。熊本城も、それでやられたのか。4年前に行ったとき、小雨に濡れた壮麗なお姿で迎えてくれた城だったが、あれでは修復に年数を要することだろう。
二つほど、書いておきたいことがあって、そろそろ風呂の時間だがPCに向かっている。一つは、エコノミークラス症候群のことなのだが、医療や報道のみなさんの工夫で、もう少し分かりやすく馴染みやすい通称を考えてもらえないだろうか。子供やお年寄りが、何だそりゃで終わってしまっては、日常の心構えにもならないし、事が起きてから説明して回るのも大変だ。
花粉症も歯周病も一つの病気の名前ではなく、同じく症候群であり、謂わば分かりやすいニックネームなのだ。前者は原因を、後者は患部の場所を示している。それがエコノミーでは、訳が分からん。それに、何が怖い病気なのかもよく分からない。肺の血管が詰まるらしいのだ。呼び名は避難所病でも、運動不足死でも、予防に役立つなら何でもよい。
もう一つは、マスメディアとネットの「72時間」の連呼は、やめてほしい。飲み食いせずに生き延びるといわれている限界の時間らしいのだが、統計上の概数に過ぎない。実際、例外も多い。生き埋めや行方不明になっている人を待つ身になってみたらどうだ。昨今のハリウッド映画と、品の無さと鈍感さでは、いい勝負だ。一人一人の命の危機に、平均値も最頻値もないだろう。
しかも、今回もいらしたが、端末を持ったまま壊れた家に閉じ込められて、救いを求める人も出る。そういう人相手に、通信でカウントダウンしてどうする? 救助や医療にあたる方々にとっては、この時間との闘いは確かに重要だが、他人が騒がなくてもプロは知っているし、彼らが現場で被災者相手に口にする数字であるはずがない。
そういう不休不眠で働いている人たちに、プレッシャーをかけて何の利点があるのか。そのたびに嫌な思いをする私の生活をどうしてくれる。それにしても震度7。起震車でのみ経験がある。命がけではないと分かっているのと、そうではないのとでは天と地ほどの差がある。
自分とて何の貢献もしていないので、怒るのもいい加減にしよう。一説には、九州や紀伊の地名に多い「熊」や「隈」などの「クマ」は「カミ」と同様、アイヌの言葉で神を意味する「カムイ」と語源が同じ可能性があるとか。この列島で、熊や大神は猛獣だ。畏怖の対象となっておかしくない。
それよりさらに、噴火と地震は今なお、こんなに恐ろしい。日本に大自然なんかあるもんかと小馬鹿にしていた大学生の私は、九州旅行の際に、長崎の集中豪雨、桜島の噴火、そして当時は火口を一周できた阿蘇の壮大な景観に、その都度おどろき不明を恥じた。九州の大地は躍動している。それが住んでいる人にとり、悪い方に出た。
別府温泉も行った。天草も行った。これ以上、被害地域が拡大しませんように。阿蘇山が大噴火などしませんように。残念ながら現代の科学技術をもってしても、地球のご機嫌伺いは無理だと分かった。今はただ、祈るほかはない。そして、いただいた教訓を活かす。
(この稿おわり)
小石川の桜と緑 (2016年4月9日撮影)
小雨に花散る散歩道 (2016年4月7日撮影)
こぞの春ちりにし花は咲きにけり
あはれ別れのかからましかば
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