おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

女川の港  (第1188回)

 ちょうど去年(2017年)の同じころ、11月下旬に、私は仙台湾の反対側にある名取川の河口付近から、牡鹿半島を遠望していた。このブログに金華山が見えたと書いた覚えがあるが、芭蕉曾良の轍を踏んだかもしれない。ともあれ、土地鑑もないし遠かったので、石巻や女川がどのあたりなのか分からなかった。

 宿泊の最終日の午後に、女川に行こうと決めたのは、幾つか理由がある。何より、津波の被害が甚大だった。記憶に間違いがなければ、報道の当初に津波被害が伝えられたのが、名取と女川だったように思う。地方中核都市の仙台に近かったということもあろうか。

 陸前高田でお会いした方によれば、海沿いをバイクで走るたびに、女川の家屋が減っているとのことだった。この女川における第一波の観測結果だったか予測だったか、高さ「6メートル」の津波という警報が、後になって大川地区に伝わっている。実際はそれどころではなかった。

 
 原子力発電所もある。福島と命運を分けた。また、牡鹿半島は被災直後に家人が震災ボランティアにお邪魔した(文字どおり)土地でもある。さらに数年前、震災が話題になった打合せの席上、私は何を間違ったか「めがわ」と発音してしまい大恥を書いた。そして、わたくしはかつて銀行員だった。女川の銀行の支店を襲った悲劇は、衝撃的なものだった。日和山で訴訟の話をしていて、それを思い出したのだ。

 被災地には、ところどころに、このような看板がある。これは数十センチの高さか、私の宿のすぐそば。今のところ、都内では海抜が書いてあるだけだ。今のところは。

 石巻から女川への電車やバスの便数は余りなくて(うちの田舎もそうだが、地方では通勤通学と帰宅の時間帯と、そうでない昼前後で大きな頻度の差がある)、出発したころには午後2時半ごろになっていた。引き続き晴れていたが、晩秋の日は傾き始めている。 


 女川の駅は、たぶん外装の工事中だった。でも、完成はそう遠くない感じがした。駅前から海へのプロムナードは、広々としていて清潔で、ただし平日の午後遅くだから、人影まばらだった。どこかのお役所か関連企業か、数名のスーツ姿の一行が、被害と復興の状況調査らしきヒアリングを行っている。

 海までは歩いてすぐ。ということは、この周囲は全て津波に漬かったのか。女川の湾は、誰が来て見ても、港を造ろうと思うに違いない地形をしている。出入り口が狭く、山に囲まれている。この良港では、ちょっとやそっとの風雨では波も立つまい。真正面から巨大な津波が来るとは、行政も住民も思わなかったのだろう。




 写真は、上がその駅前商店街、下が転倒したままの海辺の交番。撮影した場所から見て、向こう側が港湾、背中に駅と新設の商店街があるから、これは方向からして、引き浪で倒されたのではなかろうか。この近辺や、左側の漁港施設らしき区域では、盛んに建設工事をやっていた。雪が来る前に、はかどりますように。

 初日に石巻の食事の店で聞いたとおりで、朝晩が冷え込む季節。すぐ西側に山があることも手伝って、まもなく日没になった。寒いし暗いしでは徒歩の旅も、本当に歩くだけになってしまう。少し待てばバスが来ることが分かったので、滞在一時間に過ぎなかったが文句は言うまい。ここでもまた違う経験・感想を持ち帰ることができた。駅前には陛下の御製の碑もあった。



 ほとんど同じ場所から撮影したのだが、日中は上のとおり長閑であり、下は日没時。帰りのバスは、JRと並行か、やや海岸側を走ったが、原子力発電所はかなり遠い場所にあって、やはりバスの席から見えるようなものではなかった。

 あの震災が起きるまで、不明にも福島や宮城から、東京が電気を買っていたのを知らなかった。たぶん、私だけではあるまい。しばらく計画停電に悩まされたが、それ以降、電力不足は或る年の降水量不足で注意が出た程度で済んでいる。これらの発電所、どうするつもりか。そもそも、なんとか、片付けられるものなのか。特に女川は、まだ最終決定を待っているはずだ。


 こうして、あちこちで歩いたり、旧い記録を読んでみたりして、素人の私でも自信を持って言えるのは、地震津波も、以前と同じようには来ない。「正確に言えば、来るとは限らないだろう」という訂正を入れられそうだが、くりかえせば、安全対策の大方針は、安全策だ。安全第一であって、経済発展第一ではないし、組織防衛のためでもない。自然現象相手に、中途半端な経験則は怖い。

 帰りのバスから見る渡浜(わたのは)辺りの夕焼けは綺麗だった。松の木が並んでいる。そういえば、津波が運ぶ漂流物などが新北上大橋をせき止めてしまい、あとから来る津波が溢れる結果を招いた一因は、河口右岸を固めていた防風か防潮のための松林が、津波に根っこから引き倒されて、北上川を流されたものが橋脚に引っ掛かったと聞いた。裏目に出てしまったのか。


 今回は三泊四日とも、昼間は晴れて気持ちの良い旅だった。一方、そういう季節なのか、石巻では夕方になると雲が出て、夜になると雲間から、鎌のような月が時々その顔を覗かせる程度だった。天文好きとしては、地方に行く楽しみの一つが星空なのだが、今回はお預けだ。これまた、ぜいたくは言わない。こうして、ほんの少しばかりは真人間になって被災地から戻る。

 幸い、天候のみならず、交通や宿泊のトラブルもなく、病気もせずに無事、東京に戻ってきた。今回の下書きを書き始めた日から、リチャード・ロイド・パリ―著「津波の霊たち」を読み始めたところです。またいつか感想文を書きます。

 いつもながら、今ここに改めて、犠牲者およびご遺族ご友人ほか関係者の皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。今回も地元のみなさん、ありがとうございました。深謝します。




(おわり)







上: 女川からのバスにて
下: 石巻のカラス 













 I heard the sound of a thunder, it roared out a warnin’
 Heard the roar of a wave that could drown the whole world
 Heard one hundred drummers whose hands were a-blazin’
 Heard ten thousand whisperin’and nobody listenin’
 Heard one person starve, I heard many people laughin’
 Heard the song of a poet who died in the gutter
 Heard the sound of a clown who cried in the alley
 And it’s a hard, and it’s a hard, it’s a hard, it’s a hard
 And it’s a hard rain’s a-gonna fall


 聞こえたのは 警告の雷鳴 世界を沈めんとする荒波の轟
 千もの太鼓打ちの血がしたたる腕 万もの囁きに耳かさぬ人々
 飢えた者を皆が笑う 側溝で死んだ詩人の歌 路地裏で泣く道化の気配
 激しい 激しい 激しい 激しい 激しい雨が降るだろう


     ”A Hard Rain's A-Gonna Fall”   Bob Dylan




































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