おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

浪分神社  (第1134回)

 毎年一回、東日本大震災の被災地を訪問し、その記録や感想をここに残している。2011年の3月下旬、気を取り直して生活を立て直すため、気分転換にまず温泉に行き、そこで初めて漫画「20世紀少年」をみた。いわば、お導きのようなものです。

 大人になってから他にも大きな震災は何度かあったが、自分の住まいがあれ程までに、強く長く揺れたのはこの震災が初めてだった。何のために行くのかと訊かれても説明が難しいが、一言でいえば忘れないため。そして、戻って来ると少しだけ、真人間に戻ったような感触があるためだ。


 今回で7回目になる。宮城と福島に二回ずつ、岩手と北関東(茨城と栃木)に一回、東京も一回。このたびは仙台に言って参りました。行き先は毎年、その時の都合(時間とお金)および気分で決める。仙台出身の仕事仲間から、本日の題名である神社の話を聞いたので、今年は宮城県に二泊三日でお邪魔しました。

 初日、昼過ぎに仙台駅に到着。乗車したのは見るのも初めての北海道新幹線はやぶさ号。上野から1時間半。近くなったなあ。神社へはバスで行った。けっこう遠かった。市内と聞いただけで下調べもせずに行ったのが甘かった。仙台市は広いのだ。太平洋と山形県に接している。


 少し遠くのバス停で降りて歩いた。ちょうど紅葉が始まる季節。さすがに東北は東京より寒い。途中、自衛隊の駐屯地があり、右に空自、左に陸自という場所を通る。記念撮影でもしようかと思ったが、右の門にも左の門にも、小銃を抱えた迷彩服のお方が、じっとこちらを見ていなさるので、公務を妨害しないよう通り過ぎた(おそらく霞目の駐屯地だと思います)。

 二代目の谷風のお墓もある。江戸時代の大横綱で、とにかく強かったらしい。そのあたりから下り坂になり、道なりに降りていくと神社があった。私はいつもどおり、通常の作法でお参りしたのだが、すぐあとに来た地元の方らしきご老人は、私がバスを待つ間の小一時間、ずっとお祈りを続けてみえた。


 たいてい現地で誰かしら声をかけてくれて、震災の話をお聴きする機会が多いのだが、今回はこちらが時間不足で急ぎ勝ちだったこともあり、それに、まさか参詣中のお人に、根ほり葉ほり質問するわけにもいかないので、代わりと言っては何ですが案内板を撮影してきた。


 神社から海の方にかけて、ゆるやかな傾斜が続く。あの日、仙台を襲った津波は、国道45号線のあたりまで押し寄せたが、神社はその少し内陸側にある。さすがは自衛隊、さらに高いところにある。日が傾いてきたので最初に来たバスに乗って移動した。

 ちなみに、境内には古い石碑のごときものがあり、「萬延元 庚申 歳」という字が読める。江戸時代の庚申塚なのかもしれない。災害からこの地をお守りくださいとお祈りしてきた。




(おわり)




浪分神社  (2017年11月12日撮影)


















































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