おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

中越  (第1209回)

これまで何回か書いた話題の繰り返しから始めます。このブログを始めたのは2011年6月。東日本大震災の三か月後。あの震災がなかったら、このブログは始めていない。生涯、ブログは書かなかったかもしれない。人生を変えました。

地震は拙宅の地域で震度5強。自宅にいて激しく揺れ、片付けなどしながらTVをつけっぱなしにしていたら、仙台平野を飲み込む津波の映像。幸い家族親戚にけが人はなかったが帰宅難民が続出。


近くの浄水場は基準値を超えるセシウムが出て、しばらく水道水は飲めず、拙宅はぎりぎりで範囲外だったのだが、近所から北側にかけて計画停電。もちろん、しばらくは自分もお客さんも仕事が手に付かず、途方に暮れた。

被災地に比べれば文句が言える立場ではないのだが、それにしても少しは気分転換をして立ち直りたかったので、震災前から予約していた温泉宿にニ三泊の旅行に行った。新潟県の魚沼にある。


震災後はじめての宿泊客だったそうで、閑散としていたのは気の毒だったが、こちらはおかげでのんびりした。その宿にコミックス「20世紀少年」が積んであり、浦沢直樹は「パイナップルARMY」以来のファンだったら、部屋で読んだ。面白かった。読み終わる遥か前に戻る日が来た。

自宅に帰って全巻揃えて読み終えた時点で、このブログを始めている。ところで帰路は、温泉宿から最寄りの駅までのバスに乗ったのだが、途中の道の駅で、休憩時間があった。


そのそばに公民館らしき施設があり、ちょうど昼飯時で、炊き出しをやっている。誰が誰に何のため?と、いつもながら好奇心は旺盛なので、近寄ってお訊きした。

炊き出しをしているほうは、地元の新潟県のみなさん。受けている方は、福島県から避難してきた方々であった。資料館名は後述するが、長岡で聞いた話では、そのまま新潟に引っ越してきて居ついた一家もあるらしい。


それまで、新潟県といえば日本海側の北陸地方福島県といえば太平洋側の東北地方で、それはその通りなんだが、学校で習った知識だけでは、ずいぶん遠く、別の地域に思えておった。しかし隣接している。

それどころか、交通は活発で、江戸時代から複数の街道があり、今も鉄道と車道が、会津方面から北越中越との間を走っている。実際、地元の方々からすれば、お隣さんの感覚だとおっしゃる方もいた。


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今回これに乗りました(2019年10月17日発)。


それにしても、炊き出しとはお疲れ様ですと申し上げたところ、中越のときにお世話になりましたから、という目の覚めるようなご返事であった。2004年、新潟県中越地方を中心地とする、震度7の記録が残る大地震

あのころ私は生涯でもっとも仕事が忙しく、土日も働くのが普通でTVニュースや新聞さえ時たま眺める程度の余裕しかなかった。それでも、一つだけ覚えているものがある。雪国の寒い冬を迎えた、新潟の避難所からの報道だった。

大事件のニュースではない。阪神・淡路以降、活発になった震災ボランティアのみなさんが、ここでも活躍されていたのだが、熱いソバやウドンを炊き出して提供すると、受け取った地元のご老人たちが、何度断っても代金を払うと言い張り、ボランティアの皆さんが困っております。




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火焔土器中越の産。岡本太郎のコメント付き(10月19日撮影)。


東日本大震災の年以降、毎年一回、被災地を訪問して、手を合わせ慰霊の旅をしている。今年は偶然、この秋に新潟への出張があり、日程に余裕ができそうだったので、今回は中越地震のお見舞いに切り替えることにしました。

主な行先は、宿泊した長岡、用事の合間を縫って、電車で新発田、新潟。そしてバスで、今は長岡市と合併しているが、当時、山古志村と呼ばれていた地域。行った順に、次回は山古志、次々回は長岡ほかの話題を記事にいたします。



(つづく)



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良寛さまも越後で生まれ、越後に眠る。長岡駅にて。
(2019年10月18日撮影)






 世界中が誰もかも えらい奴に思えてきて
 まるで自分一人が いらないような気がするとき
 突然おまえから電話がくる 突然おまえから電話がくる
 あのソバでも 食わないかってね

         蕎麦屋」 中島みゆき
 


















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