おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

今年の被災地訪問(2の1) (第1254回)

2011年3月11日に始まった東日本大震災のあと、年に一回、被災地を訪ねることにした。本年で12年目になる。甚大な地震津波被害と原発事故の現場である東北三県のみならず、北関東や中越地震の被災地に行ったこともあった。目的はボランティア活動でもなく、調査研究でもなく、準備もそこそこに、その場で人の声を聞き、この目で現場を見てくる。

調子がおかしくなったのは、2020年に新型コロナウィルス感染症(COVID-19)のパンデミックが発生してからだ。特に「波」の時期は、安直に都内から出るのも遠慮するし、そうでなくても、見知らぬ人にいきなり会って話しかけることが容易ではなくなった。車がないので、公共交通機関を使う必要があるのも障壁となっている。


このため、昨年は常磐線がようやく全線、復旧したのを受けて、仙台から上野まで特急「ひたち」に乗っての記念旅行で終わった。これを含め、過去の記録は本ブログのカテゴリー「東日本大震災」の記事にしてある。そして本年は別の用事(主に戦跡訪問や慰霊祭参加)との組み合わせて、短期滞在・短時間訪問を三回実施した。

時系列順に、まず一回目は福島県浜通りいわき市。これは一人で新幹線と在来線を使い、塩屋埼灯台などを巡った。その北にある久ノ浜と、すぐ南にある小名浜には以前、行ったことがあるのだが、この地は未踏で、灯台のそばに「いわき震災伝承みらい館」がある。

memorial-iwaki.com



この一連の訪問において、どこで見ても辛いのは、震災前と震災後の写真を並べたものだ。震災直後の二三年間は、災害の惨さを目の当たりにしてきたが、年が経つにつれて復旧・復興が進む。やはり、大きな都市のほうが、立ち直りが早い傾向にあると感じる。

しかし主に見ていて辛いのは、一方で新たな住宅地や商工業施設や防潮堤などを拝見して心強いものの、他方で全体に震災前ほどの「にぎわい」が戻っていない地域が少なくない。写真を見るだけでも、「なかなか住民が戻ってきていない」のが歴然としている。


住宅のみならず、病院や学校などの社会インフラストラクチャーも、被災のための移転・合併や人口減などのため、すでに「跡地」となっているものを、たくさん見てきた。上掲の写真は、お互いすぐ近くにあるものを撮影したのだが、石碑は震災前から学校の敷地にあり、学校はもうない。

その前の砂浜は、今年ようやく再開した海水浴場になっており、訪問したのが8月上旬とあって、海水浴客が遊んでいて海も穏やかで、のどかな光景が広がっている。ここが、あの日、どうなったのか私の想像力で下手なことは書けない。一つの痕跡として、「いわき震災伝承みらい館」で撮影した写真をアップして今回は終わる。説明不要だろう。



(つづく)



いわき市薄浜の資料館にて  (2022年8月9日撮影)



























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