何度かここに書いてきたように、年に一回の割合で、東日本大震災の被災地を訪れています。ボランティア活動などするでもなく、ただ歩き回り、飲み食いし、その記録を書き残している。
私は地震学者でもないし、原発関係者でもない。災害の専門家でもないし、行政の担当でもない。素人の見聞録です。遠出になるから、それなりに日数と予算がかかる。不足の年は東京巡りだった。ここ東京でも4名亡くなっている。
今回は、予算的にも日程的にも、やや頑張って、石巻に行って参りました。毎回、行く場所は何となく決めているのだが(ニュースで見たとか)、今年はずっと前から、いつか行こうと考えていた大川小学校を主な目的地として選びました。
実際、最近ニュースにもなった。一つは、今年3月末で公式に廃校になったというものだった。あれから7年余、これで一年生や、間もなく入学する予定だったその次の学年も、みんな中学生になったはずだから、一つの区切りを迎えたのかなと思った。真偽のほどは知らない。校舎は遺構として残る。
そして、もう一つ。こちらは辛い話題が続いているが、遺族による訴訟の件。上告され、このままだと最高裁に行くことになるらしい。
こちらの話題については、今どこまで語ろうか、あるいは、触れるべきなのか、考えあぐねている。少なくとも、どちらかの味方をするのは避ける。そう思う理由も追って書こう。
これは石巻市役所(2018年11月14日撮影)。やっぱし、名にし負う石巻はロックンロールだな。一階はまだ改修工事中だった。今回は東北新幹線に乗り仙台を経由し、仙石線で石巻まで行った。私が初めて東北地方に入ったのは、学生時代に北海道旅行をしたとき電車で縦断した。
その遠い昔、路線は上野から常磐線経由で仙台から東北本線、名前を忘れたが青森行きのブルー・トレインだった。その時も福島で地震があり、三時間ほど遅れたため、特急料金が払戻になったのを覚えている。わたくしは、寝ていただけだったのだが。
残念なことに、今は常磐線沿線で暮らしているというのに、上記と同じルートの鉄道で、東北に行くことはできない。中断しているのだ。アンダー・コントロールのはずの、東京電力福島第一原子力発電所があるために。
着いたときには午後遅かったので、実際の活動は翌日からにした。歩いていて気付いたのだが、街並みが何となく新しい。これは以前、岩手の宮古市に行ったときも同じだった。宿泊したホテル近辺が、津波で浸水してしまい、建て替えや塗り直しをしているので、道路や建築物の多くが新品に見えるためだろう。
また、こちらは田舎の静岡も同様だが、商店街ではシャッターを締めたままの店も少なくない。もっとも、平日だったので駅前やバス乗り場は、電車やバスで通学する生徒・学生が大勢いて、そういう時間帯は賑やかだった。
今年の旅程は三泊四日で、ただし初日と最終日は移動だけだから、中二日。天候に恵まれ、交通機関も通常通りの運航とあって、予定通り、大川小学校、日和山公園、女川駅周辺に行ってきました。次回以降、旅行記を残します。
(つづく)
石ノ森章太郎のモニュメントが多い町。
(2018年11月12日撮影)
Go for a ride in the sky.
”Jet” Paul McCartney & Wings
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