2015-01-01から1年間の記事一覧
2015年もあと数時間を残すのみ。今日は映画から離れて雑談です。どうやら幸い、西暦は終わりそうになく、使徒も出現しそうにない。以前「20世紀少年」と「新世紀エヴァンゲリオン」の共通点として、両作者と私が同い年であることと、2015年が厄年であること…
玄関先にいる喪服姿のケンヂの背中に向けた「塩、忘れるな」という母ちゃんの声が聞こえる。お清めの塩や砂は、もともと神道のものだったらしいが、これと仏教をゴッチャにしてきた我が民族は、何式の葬儀だろうと粒々で清める習性がある。最近のお葬式では…
お母ちゃんがサンフランシスコでのパンデミックを報じる新聞に「怖いねえ」と感想を漏らす。また売り物に手を出したかとケンヂ店長は叱りに来るのだが、まだ彼にとって全身の血液を失う感染症は他人事のようであり、それよりも隣の記事にある高校教師が投身…
前回から一か月も経ってしまった。理由は珍しく仕事が忙しかったからだが、時間や体力が限界を迎えるほど余裕を失くしていたわけでもない。気力の問題。こんな駄文でも、それなりに考えて気合を入れないと書けないことが良く分かった。つくづく作家とか漫画…
いちいちお断りするのも大変なので書いていないが、感想文なので漫画にしても小説にしても、時にはストーリーの根幹や細部に至るまで触れることがある。特に映画の場合、ここは漫画と違うという場面があり、本作においては映画をミステリー仕立てしたことも…
映画でも大人のケンヂはコンビニ店長として初登場する。主演は唐沢寿明。初めて彼を観たのはいつだったか...。「利家とまつ」は会社が忙しいころで、土日は出勤か睡眠だったから観ていない。おそらく、「ラヂオの時間」をレンタルで観たときが初めてだろう。…
今日はちょっと真面目である。映画の話題の続きは、少年時代のケンヂの立ち姿が1997年の大人のケンヂに切り替わるところからだ。背中にカンナをおぶっている。この赤子役が、また無性に可愛い。漫画では赤ん坊時代のカンナは、むしろマルオに似ている。 ケン…
寄り道を終えて、映画に戻ります。謎の男が角田氏に「そいつは俺の友達だった」と語り、そこで時間が過去に跳ぶ。どうやら季節は夏、場所は神社の境内のようだ。ケンヂ少年は、トレードマークの白い野球帽をかぶっている。高校野球部の練習用みたいな無地の…
多数決は民主主義の原理ではござらん。大半の人が賛成してくれないというとき(国会でいうと、立ち上がっただけで賛成多数につき可決ということにならないとき)、やむなく白黒丁半をはっきりさせるために使う最後の手段に過ぎない。反証の好例が議員の選挙…
むかし、母音+「サ行」「ザ行」で始まる地名は、火山あるいは火山に縁があるものが少なくないため、古い日本語で火の山という意味であったかもしれないという説を聞いたことがある。でも富士山を筆頭に無数の例外があるし、母音もサ行もよく使われる音だか…
中学校の放送室のシーンが終わり、かけた曲はそのまま流れつつ、映画はオープニング・クレジットに移る。クレジットと言っても、ここでは登場人物のあだ名が並んでいるだけだが。オッチョから始まりケンヂで終わる(映画の作りもそうなっている)。あの秘密…
映画では「うるせえ」というのが主人公の第一声である。しかも相手は無抵抗の婦女子であった。続いて彼が大人になったあと(でも、漫画で言うとヴァーチャル・アトラクションの最終場面より前のはずだ)、「何かが変わると思った」という回顧談が入る。「俺…
漫画や小説が映画化されるときの楽しみと言えば、配役とか別建てのシナリオとかあれこれ興味は尽きないが、特に色彩と音響は、漫画の絵や言葉の表現にも限界がある以上、映画の大事な見どころの一つであります。漫画はごく稀にオール・カラーがある程度。そ…
映画用に、わざわざ新しいブログ・カテゴリーまで作った。形から入らないと気分が乗らない私。映画「20世紀少年」は三本作られて、2008年から2009年にかけて上映されている。残念ながら、そのころは失業と開業準備で大騒ぎだったので、映画館で観ていない。…
そろそろ映画の感想文をまとめて書いていこうと思う。その前にこれまで書き残した断片のようなものを一まとめに記します。先日の積み残し。「ゴールデンスランバー」で名前の分からなかった若い俳優さん。ちゃちゃっと調べられる世の中になり申した。 キルオ…
「のろし」は、第5集第4話のタイトルになっている。それが描かれているページには、「よげんの書」でも屈指の稚拙な絵があり、しかも説明文がないため、描いた本人のケンヂが思い出せないでいる。昔の少年誌の特集では野球、プロレス、幽霊・おばけ、人類滅…
先日の宣言どおり、映画「ゴールデンスランバー」を観ました。この作品は原作小説のストーリーやセリフをかなり忠実に再現しているので、映画の感想文というより役者の感想文のようになりそうだ。相変わらず私は脇役好きなので、そちらに重点が傾く。今の邦…
今回は後半こそ漫画の感想文ですが、その前に楽しくない現実の話題にも触れますので、そういうのはご勘弁という方は読み飛ばして下さい。本日すなわち8月20日は、ケンヂおじちゃんの誕生日である。56歳、おめでとうございます。作者がこの日を選んだ事情は知…
今日も漫画とは殆ど関係ございません。最近は妙に昔のこと、特に子供時代のことを思い出すようになった。無事お迎えの時が近づいているのかもしれない。昨日、実家のことを書いていたときに連想したことを書き残そう。 小学生のころ、1960年代の田舎、うちの…
司馬遼太郎は複数の著作において、中庸・中道というものは観念としては成り立ちやすいが、そのとおり実行するのは難しいという趣旨のことを書いている。また、別の機会に引用した覚えのある「街道をゆく43」には、こんな文章がある。 古代ギリシャの哲学者は…
覚えていらっしゃる方もいるのではないかと思う。もう10年ぐらい前だったか、私が若手社員だったころの8月12日に日航機が墜落し、その遺品を展示する会があった。この場には行けなかったのだが、展示品の一部を伝える新聞記事を読んだ記憶がある。 そのうち…
漫画「20世紀少年」で幽霊や、オバケが散々話題になっているのだが、考えてみれば今どきの若者には余り実感の湧かない話題ではないのだろうか。ああいう古典的、伝統的なオバケ、幽霊の類は最近とんと登場しないではないか。幽霊はどこへ行った? 幽霊という…
乾くるみ著「イニシエーション・ラブ」は、はたして恋愛小説なのかミステリなのか知らないが、いずれにしても滅多に私はこの手の本を読まない。しかし、今回は親類にぜひと勧められたので本日(この下書きを書いた日に)読みました。漫画の感想文とは関係な…
今日は映画「カサンドラ・クロス」が材料。英語の題名は上記のとおり、「クロス」ではなくて「クロッシング」になっている。十字路の悪魔とか、矢切の渡しとかのような、道路や鉄道や河川などが交差する場所をいう。映画は1970年代の作品で、先日たまたま観…
前回のイチャモン大会において、「slumbers」は複数であるべしと述べたが、そこまで徹底されていないものの「dream」も複数形で用いられることが多い。夢には二義性があると以前書いたが、儚い夢のほうが複数形であるのは不思議ではないとしても、寝ている間…
今回は小説の感想文のごときもの。雑文です。筋は追わないが、やはり要所には触れるので、まだ小説を読んでいない人や映画を観ていない人は読むのを避けてくださったほうが良いと思います。2007年に出版された伊坂幸太郎著「ゴールデンスランバー」である。…
今日は漫画と無関係に夏便り。近年の唯一の娯楽は、南の海で泳いだり釣りをしたりすることだ。そのために他の遊びには殆ど金を使えないが構わない。先般、ようやく夏休みが取れました。 私はダイビングはやらないし、シュノーケリングもほとんど経験がない。…
第何集か忘れたが、ケンジ少年が縁側でスイカを食い、口から庭先に行儀悪く吹き飛ばしている種に希望を託して、「これでスイカ食い放題です」と苦手の夏休みの日記に書き残したシーンが出てくる。だがスイカは育たなかった。 私もガキんちょのころ、同じよう…
たまには穏やかな話題を。関東は梅雨です。私の写真はほとんどが花や魚。正岡子規と同じ「博物好き」である。「自然」という単語は、英語のナチュラルの訳なのだろうか? どちらも母なる大自然のほうの意味と、アローン・アゲインのように「自然とこうなる」…
漫画の感想文らしくない記事が続く。自分で散々書いてきて、今更こういうのも何だけれど疲れて来た。書いたり考えたりするのに疲れたのではない。時勢に遅れを取らぬよう最近の政治の記事をネットや報道で追いかけて来たのだが、ネットのニュースに追記され…