おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

九段  (第982回)

 間もなく東日本大震災の発生から5年を迎える。今日は漫画と関係がない。毎年一回、被災地を歩くと決めているのだが、今回(去年の3月11日から一年間)は諸事情が重なり、金も体力も時間も不足したまま時が経ってしまった。

 過去4回は東北3県と北関東に参ったので、今年はこの条件下ですぐ行けるということで地元東京を選んだ。公共機関等の資料によると、この震災で東京都では7名がお亡くなりになっている。津波は来ていない。都心はおおむね震度5ぐらいだった。

 当日、私がバルコニーから見た範囲では、はっきり分かったのは遠く南東の方角に見えた煙だけ。最初は江東区で起きた工場の被災かと思ったが、こちらは有機溶剤の災害であったらしい。あの煙は市原のコンビナートの火災だったのだろう。


 関東大震災では木造家屋が多かったということもあってか、神奈川や東京の激震地は焼野原になったと聞くが、5年前の地震では目で見てはっきり分かる状況というのは、これぐらいだった。

 それにも拘わらず7名も亡くなっているということは、地震について良く言われるとおり、その瞬間にどこで何をしていたかという運命に左右されるという観点からすると、余りに運が悪かったとしか言うほかはない。


 都内で死者が出た被災地のうち、その前に私が足を運んだことがあった唯一の場所が九段会館である。古い手帳をみると、2010年の秋だから震災の半年ほど前だが、九段会館セミナーに出席している。

 これは政府主催で毎年行われる相当な規模の講演だから、会場はまず間違いなく天井が崩落した大ホールだっただろう。地殻変動というこの星の動きからすれば、半年なんてほんの一瞬の時間にすぎない。運が良かったのだ。




 翌日に建国記念の日を控えている2月10日に、所用で近くに行く機会があったため、こういうときだけ個人事業は融通が利くのだが、少し時間を割いて被災後初めて九段会館の前に行った。「前に」と書いたのは、被災後に再建は断念されて取り壊しが決まったそうで、現在、立ち入り禁止になっているのだ。歴史のある立派な建築物だが、いつまで在るか分からないのです。

 祝日を避けたのは、この九段会館がほぼ靖国通りに面しており、近くに昭和館蘘國神社日本武道館千鳥ヶ淵戦没者墓苑などがあって、日本の近代史・現代史を象徴する施設が並んでいるから、混雑するかもしれないと思ったからだ。それでも電車は混んでいた。大きい荷物が目立つのは、春節の時期だからだろう。


 

 九段会館は正面から見ただけだが、外見上は目立った損壊の箇所はない様子。しかし、当日はかなり厚くて硬い材質だったに違いない天井が落ちてしまった。そして運悪く使用中だった。3月11日は卒業や進学・進級を控えている時季である。数十年前の3月10日の東京大空襲も、卒業式のため疎開先から早めに戻っていた六年生が少なからず犠牲になったと聞く。

 その瞬間この場所では、専門学校の卒業式が行われていたとのことである。崩落事故で先生お二人が亡くなった。翌3月12日付の東京新聞が報じたところによれば、すんでのところで被災を免れた式典の参加者たちは、目撃者によると落ちてきた天井をのけようとして「せーの」という掛け声をあげながら、なんとか動かそうと力を尽くしたらしい。


 あの規模の地震となると余震が起きたり、落ちかけていたものがついに崩れてきたりというおそれは充分にある。それでもみんな残った。命を落とされた先生方には、いい学生をお育てになったと申し上げることくらいしかできない。

 会館の駐車場に、背中の黒いセキレイが飛んできた。水辺に棲む鳥であるが、最近では都市部でもよく見かける。九段会館は内堀沿いに建っているのだ。逃げ足が速いので少し遠くから写真を撮った。不審者そのものの振る舞いであるが、警備員のおじさんは空を見ていた。門前には立派なシイの木が立っている。せめて、あれだけでも残してほしい。






(この稿おわり)







九段会館の正面 (以下いずれも2016年2月10日撮影)



門扉の紋章



セグロセキレイ







わするなよほどは雲ゐになりぬともそらゆく月のめぐりあふまで  - 読み人知らず











(追記) 大事なことを書き忘れました。台湾で大きな地震がありました。一人でも多くの方が救助されますように。東日本大震災のとき、台湾にはずいぶんお世話になっています。






































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