おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ユーキとムボーについて  (20世紀少年 第905回)

 こういうことを言うのは私だけかもしれないが、少年時代のヤン坊とマー坊の笑顔はけっこう可愛い。もちろん充分にくたらしいが、陰険な顔立ちではない。弱い者だけをいじめる訳でもない。

 正義の味方を志したケンヂではあったが、当面は双子に歯が立たないため、大人になるまで問題を先送りすべく「よげんの書」を書いたのが運の尽きであった。しかし、ヤン坊マー坊に対しても無為無策ではなかったことを私たちは知っている。

 
 1969年の法師蝉が鳴く季節、原っぱの秘密基地はヤン坊マー坊の急襲により破壊された。ケンヂは原っぱに双子を呼び出したらしい。「一人で何しに来たんだよ」と双子の片方が語り、「そういうのはユーキって言わないぜ...ムボーっていうんだ」ともう一人が言い放つ。このシーンは映画にも出てきました。

 ここで着目すべき点としては、ケンヂが立ち上がったのは基地が壊されたためではなかった。ケガに泣くヨシツネやケロヨンに対しては、もう基地のブームは終わったのだと冷やかにコメントしている。彼が怒ったのはそのあとで、マルオからその経緯を聴いてからだ。ケンヂは友達の尊厳が踏みにじられたことに激怒したのである。


 前にも書いたが、この日のヤン坊マー坊との決戦は、ユキジの登場の少し後から始まり終盤まで途切れ途切れではあるが続く大事件であった。これも前に書いたが、少年時代の悪が双子であったように、大人時代の悪も”ともだち”といい、巨大ロボットといいペアで登場する。ザ・ピーナッツもビューティー・ペアもいい者であったが、この作品では悪者が一つがいになっている。

 ちなみに第20集だったか、ヤン坊マー坊に対して双子の識別をあきらめた敷島教授は、そのヤン坊、ニン坊、トン坊が何の用だと匙を投げたように言っているが、なぜ3人に増えたかというと私が生まれる前のラジオドラマにそういうのがあったのだ。敷島先生は世代が古い。


 勇気と無謀について、私の手元にこれをテーマにした司馬遼太郎のエッセイを載せた本がある。「街道をゆく」の「43 濃尾参州記」の最終章で「家康の本質」というタイトルである。司馬さんが最後に書いた文章が何なのか知らないが、これは一つの候補である。なぜなら、最後に「未完」とさみしく印刷されているからだ。


 大阪生まれの司馬遼太郎は、太閤秀吉が大好きで、征夷大将軍徳川家康が大嫌いである。この短編でも「若いころの家康は、露骨に臆病だった」などと書いてはる。

 これは事実だったようで、私が子供のころ読んだ他の資料でも、時に家来を手こずらせるほどに神経過敏であったそうだ。その嫌いな相手をわざわざ題材に選んでいるのは、歩いた街道に「参州」(三河)が含まれていたので仕方が無かったのだろう。


 だが公平を期して、家康は「ときに、劇的なほどの勇者になった」とも書いている。権謀術数の塊みたいに言われることが多いが、彼ほど命がけの実戦経験が多い武将も珍しいのだ。では、それに続く勇気と無謀についての箇所を引用する。

 「古代ギリシャの哲学者は、勇気と無謀はちがうとした。無謀はその人の性情から出たもので、いわば感情の所産といっていい。勇気は、感情から出ず、中庸と同様、人間の理性の所産であるとした。」

 
 上記のケンヂの決起は、どうみても感情の所産だろう。この漫画の用語では「ムチャ」ともいう。するとヤン坊でもマー坊でもどっちでもいいが、双子の片割れの言うことはギリシャ哲学的に正しい指摘ということになる。他方で、理性で助太刀に来たのがオッチョであるが、この時も2000年もなぜ彼が孤軍奮闘のケンヂを助けに来たのか、実は私には良く分からない。戦闘マニアなんだろうか。

 ちなみに、西暦2000年の夏、ケンヂとオッチョが待ち合わせて歩いたのは、渋谷のセンター街である。漫画にも看板が出ています。ケンヂの指名手配写真が貼ってあったのは、ハチ公がいる渋谷駅前交番であろう。

 前にも書いたが坂口安吾上杉謙信直江兼続のことを「戦争マニア」と呼んだ。謙信はその生涯において七十度戦って無敗であったとお聞きしたことがあるが、確かにそんなに戦争するネタがあるとは容易には受け入れがたく、されどマニアであれば敵がいないと戦争もできないので、塩を贈っても不思議はない。安吾流の謙信と兼続、こう言っちゃ何だが、まるでヤン坊とマー坊である。


 司馬さんの文中にあるギリシャの哲学者とは、詳しく知らないがソクラテスが勇気を人間の徳の一つと考え、アリストテレスが勇気と無謀についての考察を「二コマコス倫理学」で論じたことは、読んだことがない私でも目次だけ見ればわかる。また、「中庸」という言葉も出てくるが、これも司馬さんの好きな概念で、いつか別の機会にどこかで論じたい。

 ケンヂの名誉のために補足すれば、この男も「ときに、劇的なほどの勇者になった」。つまり、理性が勝つときもあった。怖がっても逃げないファイターであった。味方が近くにいるのに一人で戦いに行くという妙な性癖もあり、しかし「戦力とは、軍備と戦意からなる」(塩野七海)という軍事学の鉄則を(少なくとも戦意の方は)わきまえておった。



(この稿おわり)





ちょっと見ずらいのは飛行機の窓から撮影したため。
東京湾アクアラインの換気施設「風の塔」。神奈川県川崎市。第7集ご参照。
(2014年9月10日撮影)


 角田氏 「あなたはいったい、何をしたんですか!?」
 オッチョ 「いや...これからやるんだよ。」










 遥かな星が故郷だ
 ウルトラセブン
 ファイター セブン










































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