これから感想文を書くにあたり、いちいち双子の片割れとか、ヤン坊マー坊のどっちかなとど書くのも面倒なのだが、幸いなことに間もなくそれぞれが名乗りを上げるので(これが嘘でなければだが)実名で書くことにする。一般に双子は双子扱いされるのを嫌う傾向にあるらしい。二人で一つの存在とみなされているような気分になるのだろうか。それはそうと、ヤン坊マー坊とは実名なのだろうか。
本家本元というべきヤンマー株式会社は、先月、ヤン坊マー坊のキャラクター・デザインを一新すると発表した。これが全国紙の経済面で記事になるのだから、いや大したものだ。何でもマスコットを使って、ライセンス・ビジネスを始めるらしい。ということはヤン坊マー坊のイラストが天気予報以外にも出回るということだ。間違っても一新されたデザインが「20世紀少年」的なヤン坊マー坊のようにならぬことを祈る。同社のサイトによるとヤン坊マー坊の始まりは1959年。
ユキジが円盤を見ながら「飛ぶわけないじゃない」と叫んだとき、ところが飛ぶんだなこれがという声がした。太った初老の男が一人、歩いて近寄りながら「作った私がびっくりするくらい飛ぶんだ、これが」と言っている。よく出た腹の途中でネクタイが止まっている。今はどうか知らないが私が若かったころ、イギリス人はネクタイを短く締め、アメリカ人と日本人は長く締めていた。アメリカにネクタイ・ピンの風習がないのには驚きましたね。
作った本人も驚くということは、彼もちゃんと飛ばないかもしれないと案じていたということだ。人類もいろんな形状の空飛ぶ乗り物を開発してきたが、確かに円盤型は見たことがない。力学上、無理なのか。それとも経済効率が良くないか、あるいは以前心配したように居住性が良くないのか。
オッチョとユキジは馴れ馴れしい不審な闖入者に対し、さっそく「誰だ」と問いながら戦闘態勢に入っている。しかし相手にはてんで緊張感がなく、君らは自分の国の科学技術省長官も知らんのかと小馬鹿にしている。オッチョとユキジは何だそれはという反応なので、本当に知らないらしい。報道管制もあるし、粛清も少なくないようだからコロコロ変わるだろうし(これは現実の日本政府と変わらない)、そもそも興味が湧かないのだろう(これもか...)。
やむなくマー坊はメガネを取り出してかけてみせた。ユキジが長年の宿敵と即座に認めて「あなたは」と叫んだのは通常の反応だろうが、オッチョの「どっちだ?」という質問は可笑しい。別に笑いを取りにいっているわけではなさそうだが、今ここでどっちだか分かろうが分からなかろうが大問題ではあるまいに。マー坊はこれに対し、これまで無数の同じ質問を受けてきたに違いない人生の鬱憤を乗せて、「どっちって、なんだ」と不平を鳴らしている。
オッチョとユキジは異口同音に「ヤン坊マー坊」と正解を出しているのだが、マー坊はすねたのか「だからどっちだって言ってんだよ」と会話がかみ合わない。ユキジの質問も話がそれていて、ヨシツネがあったときは痩せていたと聞いたがという昔話をしている。「あっという間にリバウンドさ」とこれにはまともに答えているから、ヨシツネは貴重なものを見たのだ。
マー坊はここで、「そんなことより、その物騒な棒、なんとかしろ」と愚かな命令を下したために、オッチョの激怒をかっている。恨みつらみが積み重なっている。(1)ケンヂの誘いを無視した。(2)裏切って俺たちのアジトを”ともだち”に売った。(3)その後も”ともだち”にすり寄って、今や「世界的大企業」だ。防戦一方のマー坊であったが、「殴られるくらいじゃすまんことを、お前たちは」とオッチョが迫ったとき、妙な反論を始めたのだった。
(この稿おわり)
中央線沿いの外堀通りは桜の名所。今年は菜の花と一緒に咲きました。
(2013年3月23日撮影)
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