おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

いじめ (20世紀少年 第487回)

 第16集の前半には、私にとって厄介な課題が二つ出てくる。一つは、訳が分からない「のっぺらぼう」の問題。もう一つは、できれば避けて通りたいイジメの問題。だが、いじめは「20世紀少年」の重要なテーマの一つである。「21世紀少年」にも再び出てくるが、いじめは間違いなく”ともだち”と”しんよげんの書”の成立要件の一つなのだ。

 第16集のいじめは、お面を貸せと命じた前後に、フクベエがサダキヨに浴びせた言葉の暴力と、借りたお面で外出したフクベエが人違いで受ける暴行が出てくる。それらの個々の話題は次に回して、今日はもう少し一般的なことを考えたい。今と昔のイジメの違いについてです。


 まずは例によって、辞書的な意味の確認から。広辞苑第六版によれば、「いじめる」とは、「弱い者を苦しめる」と簡潔である。昔は「弱い者いじめ」とも言いました。私も小学生時代、親や教師に何度、「弱い者いじめをするな」と叱られたことか。主な犠牲者は妹、下級生、同級生です。この場を借りて、まとめて謝ります。すみませんでした。もうしません。

 辞書は隣に「いじめ」という名詞も載せている。漢字では「苛め」。意味は、「いじめること。弱い立場の人に言葉・暴力・無視・仲間外れにより精神的・身体的苦痛を与えること。1980年代以降、学校で問題化」。最後の一行が気になる。間違いなく、いじめは昔からあったのだが、30年ほど前から「学校で問題化」したのだと、この辞書は言っている。


 いじめは大人の世界にもある。ハラスメントという言葉もよく使われるようになった。ただし、両者は完全に同義ではないと思う。仮に私に女性の上司がいたとして、彼女の服装を賞賛したところ、彼女が性的な誘いを受けたと思って不愉快に感じたというケースは、政府の定義によるとセクシャル・ハラスメントになってしまう恐れがある。しかし、これは嫌がらせではあっても、弱い者いじめではないはずだ。

 本来、いじめは、辞書に言われるまでもなく、弱い者に対してなされるものだ。ブルーハーツの表現を借りれば、「弱い者たちが夕暮れ、さらに弱い者をたたく」ということなのだ。

 そして今この国では、教育関係者や識者や報道機関が口をそろえて、「いじめは変質している」、「陰湿、凶暴になっている」と言う。現在、職場でのいじめ、すなわちパワー・ハラスメントが問題化しているのと同時並行で、学校でもイジメは深刻な問題になっているらしい。


 「らしい」と書かざるを得ないのは、報道を通してしか実態を知らないからです。私には子や甥姪が、上は大学生から下は保育園児まで10人以上いるが、幸い、ひどいイジメに遭っているという話は聞いていない。だが、明日は我が身かもしれない。

 相手が急に変わるのも、今のいじめの特徴らしい。私は、いじめたのと同じくらい、いじめられたが、遺書を残して飛び降りるなど、想像したことすらない。それが、今の日本では決して珍しくないほどに起きているらしい。


 今年、滋賀で問題化したイジメによる自殺について、最初のうちは「明日は我が身」の観点から、報道に関心を持って接していたのだが、途中で胸が悪くなり、新聞の切り抜きなどを止めざるを得なくなった。

 そこで、個別の問題を深く検討するのは断念し、全般的に、昔のいじめと今のいじめは、どこがどう違うのだろうかということで、同い年の男と1時間余り話してみた。そこで以下、話が合った部分を挙げます。


 その1。暴力沙汰は昔もあった。でも、本格的な殴り合いというのはガキ大将同士とか、不良同士とかの間で行われるのが普通であって、平凡な子のイジメの世界では、せいぜい軽く引っぱたいたり蹴飛ばしたりつねったり、やられる方は悲惨だが、治療が必要な程度までは行かなかったと思う。

 その2。昔はたいてい単発的、その場限りであって、最近報道されるような、毎日毎晩、何週間も何か月も、同じ相手をいじめ続けるというようなものは、稀ではなかったかと思う。そんな根気も動機もなかった。

 目に余れば誰かが止めに入り、あるいは、やりすぎる奴は往々にして、いじめられる側に回されてしまい、時には先生にチクられて厳しい叱責を受ける等々、いわば社会的制裁を受けた。今の学校では、そういう機能が働いていないのではないか。


 その3。携帯電話やインターネットの有無は大きい。昔は恥ずかしい写真や動画を撮られて、ネットに晒され、同級生にメールで配信されるなどという恐怖は無かった。もしも実名まで書き込まれて拡散されたら、生涯どころか死んでも残る。

 恋愛に結婚に就職に商売に、いつか差し障るのではないかという恐れを抱いて一生を過ごすなんて、想像もできない災難である。こういう犯罪行為をした者は、一生かかっても払いきれないほどの損害賠償責任を負わせるべきであろう。


 その4。これも昔からあったが、集団が個人をいじめるケースが増えたのではなかろうか。少なくとも、報道されるほどの残酷な結果を招いた事件では、殆ど、そういう事態が起きている。

 いじめる奴らが徒党を組むのは、古今東西、珍しいことではないと思うが、問題は、いじめられる側が、ずっと孤立したままという事態だと思う。集団的自衛ができていない。所詮メダカは群れたがると言われたって構わないではないか。シャチもライオンも群れるのだ。


 かつて、このブログで、小学校のとき合計4年間、同級生だった女子が、ひどいイジメに遭っていたという話題を出した。上靴を隠されり、「死ね」と書かれたメモが机の引き出しに入っていたり等々。相手は3人のクラスメートの女子だった。

 彼女がどうやって、この危機を乗り切ったのか詳しくは聞いていないが、一つには彼女には、いつも一緒にいる仲良しが一人二人いたこと(これは私の記憶)、また、本人によれば、家庭環境に恵まれていたことが大きかった。

 それが今は、下手に助けようとすると、今度は自分がいじめられるという懸念があって(実際、そうなるのだろう)、いじめられっ子は孤独なままらしい。そして、なぜか親に隠すらしい。これでは救われない。ドンキーは基地の仲間に入ってから、いじめられなくなった。サダキヨも努力したのだ。ただし不運だったのである。


 最後に、最近のイジメ報道で目立つのは、多額の金銭を巻き上げるという側面である。親に隠すのは、この問題が大きいのかもしれない。サダキヨもお金を巻き上げられていたようだが、私のように小遣い銭すらなく、金を持ち歩こうにも金がないという当時の子供の大半は、服装や持ち物を見れば貧乏だと分かるから、少なくとも、このような強盗傷害の被害には遭わずに済んでいるはずだ。

 ちなみに、小遣い銭がなかったというのは、お小遣いが全く無かったという意味ではない。私も友人の多くも、小遣いは母親が帳面など(我が家ではカレンダー)に毎月の金額を書き加えていくだけで、たまに余裕があるとそれが現金化される(我が家では銀行の預金に直行)という仕組みであった。小銭が手に入るのは、たまたま親戚の機嫌や羽振りが良いときか、お使いのお釣りが臨時の収入になるときぐらいでした。


 すでに、全国的に発生し始めているように、学校内や教育委員会では解決・制止・事後処理も手に余り、警察沙汰になり始めている。これから警察の皆さんも大変だなと思うが、すでにどうみても民事の範囲を超え、刑事罰に当たるレベルに来ているのだから仕方がない。今日は書く余裕がないが、家庭内での虐待(DV)の報道内容も酷い。

 いじめの発生を、完全に防ぐのは絶対に無理。学校も職場も家庭も、狭い社会に同じ顔ぶれで長期間、詰め込まれ、働け、勉強しろ、負けるな、人に迷惑をかけるな、文句を言うなと強烈なストレスをひたすら受け続ければ、人間関係にほころびが生じないはずがない。逃げ道を確保しないといけない。子供の場合は、大人がそれを助けてやらないといけない。

 疲れました...。このテーマは厳しい。でも、このマンガでも、現実の社会でも無視できないだけに辛い。さて、少し気晴らしをしなければ。今朝の東京は嵐の前の静けさ。散歩でもしますか。





(この稿おわり)







池の亀さん(2012年9月17日撮影)










































 


































































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