おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

殺意のありか   (20世紀少年 第303回)

 第11巻の73ページ目、物語は2002年の夏に舞台を移す。学校の屋上で出会ったモンちゃんとサダキヨは、日が暮れてから居酒屋風のお店に入った。店の名は「魚心亭」という。本来、魚は、「うお」と読むときは或る種の動物の名であり、「さかな」と読むときは料理の名である。「何々うお」という魚はいるが、「何々さかな」はいない。焼き魚は「やきざかな」としか読まない。ピッグとポークの関係と同様です。

 魚心あれば水心という言い回しは、広辞苑によると「魚、心あれば、水、心あり」からきたものだそうで、誰かが自分に好意を持ってくれるなら、自分もその好意に応える準備があるという意味です。モンちゃんは「サダキヨといえば屋上だ」と覚えていてくれたし、体調が良くないのに、わざわざ訪ねてきてくれた。サダキヨにとっては、大変な好意であった。”ともだち”の正体を教えてくれというモンちゃんの求めに応じる準備が整った。


 B級サスペンス映画のような今日の仰々しいタイトルは、サダキヨが独断で「モンちゃんを殺しちゃった」のか、それとも、”ともだち”の指令を受けて”絶交”したのかが気になっていたので、今回それを考えたいがためである。魚心亭の直前に、2014年のサダキヨが「”絶交”か...」と一人ごちていることからして、どうやら後者ではないかという観点から検討を始めます。

 このことは、モンちゃんがなぜ殺されなければならなかったのかという問題と直接、関わる。サダキヨ独断説は、この点で非常に弱い。再会して半日、モンちゃんはサダキヨに何ら危害を加えていない。過去いじめたという形跡もない。人は怨恨で人を殺すことがあるが、モンちゃんもサダキヨも、そういう事態に陥るような人間とは思えない。


 サダキヨは優柔不断、情緒不安定を絵に描いたような男だが、モンちゃんを撲殺する際の決然とした動きと、その後の冷静な報告者としての態度は、あまりに彼らしくない。普段そういう凶暴なことをしそうもない人が、そういうことをする場合とは、どういう場合だろうか。

 何度も引き合いに出すが、私のこれまでの人生で起きた事件で例えれば、オウム真理教サリン事件、そして、あさま山荘事件に至る連合赤軍の集団リンチ殺人。「20世紀少年」の”絶交”に相当する行動を、前者は「ポア」、後者は「総括」と呼んだ。いずれも狂的な教条下において、狂的な精神状態に置かれたインテリ連中の凶行である。オウムでは、マインド・コントロールという言葉が盛んに使われた。


 モンちゃんが殺害される理由が、チョーさんと同じく知り過ぎたため、また、これからも知ろうとし続けるであろうためであるとしたら、”ともだち”指令説は成立しそうだが、サダキヨ独断説は、この点でも筋が通らない。まさか、水心で喋りすぎたわけでもなかろうし、酒の勢いで言わなくてもよいことを言ってしまったわけでもあるまい。絵では、そういうふうには見えない。

 サダキヨは事が終わったあとで、「僕も自分の仕事をまっとうしました。後片付けをお願いします」とのみ、携帯電話で連絡をしている。これだけで用件が伝わったということは、受信者もサダキヨの仕事の内容と、後片付けをすべきものが何だったかを知っていなければならない。やはり、サダキヨはモンちゃんの”絶交”を命じられていたに違いない。「いつも僕に、あーしろ、こーしろ」と言ってきた奴に。


 そういう前提で考えると、モンちゃんは魚心亭でサダキヨから事情徴取をする前の段階で、すでに”ともだち”にとって、この世に居てもらっては困る存在になっていたことになる。チョーさんの場合と比較してみよう。伝説の刑事は”ともだち”の氏名、元住所、卒業した小学校と学年、そして修行歴や評判に至るまで調べ上げていた。

 モンちゃんは、そこまでたどり着いていない。だからこそ、サダキヨに正体を教えろと頼んでいるのだ。では、これまでのモンちゃんの行動がどうして深刻な問題になったのだろう。チョーさんが捜査していた1997年当時、”ともだち”は凶悪な計画を立ててはいたものの、まだ怪しげなサークル活動の裏で、邪魔な人間を殺すだけの犯罪者に過ぎなかったと思う。ヤマさん以外の警察関係者に個人情報やプライバシーを知られては困るので、チョーさんを絶交したのであった。


 しかし、21世紀に入ってからのフクベエは、実質的に日本最大の権力者であり、国内外から尊敬と称賛を受ける存在になっている。血の大みそかの前と後とでは、守秘すべき悪行のダイナミズムが違うのである。モンちゃんは2000年12月31日の夜、友民党の本部に行き、その一室で巨大ロボットが友民党により操作されている事実を知った。

 ただし、それだけで殺されるなら、行動を同じくしたユキジとオッチョも、とっくに死んでいるはずだろう。モンちゃんの寿命を縮めたのは、その後に取った行動と、その成果によるものに違いない。第10巻、病床でユキジに語ったところによれば、数えきれない人間に会い、また、「しんよげんの書」の一部も手に入れた。そして、病床を抜け出して再調査に入った。


 このまま放置するのは、まずいという判断が下ったのだろう。かくして、またも”ともだち”は、同級生を殺す気分になったのだ。おそらく、関口先生に会ったことも、サダキヨを探し始めたことも、例の監視盗聴の得意技で探知したに違いない。そうでなくても、いずれサダキヨを訪問するだろうと推測したに違いない。

 そう考えるとサダキヨが、訪ねてきたモンちゃんの顔を見ただけで、フル・ネームと呼び名を言い当てたのは、別に彼の記憶力のなせる技ではなかったのかもしれない。この日のサダキヨの心境を推し量るのは至難である。地下鉄の中でサリンを入れたビニール袋を傘で突いた連中が、何を考えていたのか分かりようもないとの同様に。


 問題は、その後、サダキヨの人生がどうなったのかなのだが、この男は12年間も悶々としたまま、徒に時を過ごした。汚名挽回は容易ではない。今回は暗い雰囲気のままで終わってしまう。申し訳ないです。せめて、私の大好きな菜の花の写真を飾りたいと思ったのだが、近所でわずか一茎、見つけたのみでした。


(この稿おわり)



菜の花や月は東に日は西に 蕪村