おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

秘密ではなくなった基地 (20世紀少年 第481回)

 第16集第1話の後半。俺達だけの秘密基地に、二人の部外者が吸い寄せられるかのように侵入しようとしている。このときの様子は、すでに両当事者の回想として出て来ている。第3集のクラス会で、フクベエがケンヂに話しており、第10集ではサダキヨがコイズミに伝えている。
 
 第16集の描写はこれらと矛盾はなく、どちらよりも詳しい。さらに、フクベエ少年の心理描写というおまけつき。彼がどのようにして、基地を見つけたのかは分からない。メンバーの後をつけたか。原っぱでは早速、足にからみつく雑草が気持ち悪いとか、ヤブ蚊がかゆいとか、文句を並べ始めている。そういうものは、夏の遊び場に付き物である。彼はこういうところで遊んだことが殆どないのだろう。

 
 サダキヨはどうか。第10集において、彼はグッチィ達とサッカーができる自分でもないし、学級新聞のグループに近寄ろうとしてもノブオに追い払われているが、本当に仲間に入りたかったのは、友達になりたかったのは、秘密基地で遊んでいるケンヂ達だったと述べている。

 これまでも、これからも、サダキヨ少年がいじめられている場面が幾つも出てくる。ところで、彼が暴力を受けている場所は、昨今のイジメと異なり、学校のトイレの中などといった陰湿な場所ではなくて、すべて屋外である。変なお面をかぶっていたり、小銭を持っていたり、しかも単独行動なので、いじめられてしまうのだろうが、それでもサダキヨは友達を求めて外出をいとわない。


 第1話は最後に1969年と書かれているので、サダキヨはまだ4年生であり、フクベエやケンヂとは学校が違う。それでも知り合いだったのは実家が近所だったからだ。東京の人口密集地域では小学校がお互い近くにあり、子供でも徒歩で行ける距離に複数の学校があるため、私の息子もそうだったが、どの学校に進学するかを保護者が選べるというところも少なくない。

 少し後に出てくるが、学校は別でもフクベエとサダキヨの行動範囲は重なっている。それに、今はどうか知らないが、昔は小学校が違っていても、一緒にお互いの学校のプールに行ったり、野球やサッカーをして遊んでいたものだ。どうやって知り合ったのかは描かれていないが、秘密基地で偶然、出会ったときは、既に顔見知りであり、それがサダキヨにとっての不幸となった。


 フクベエは基地の作りも馬鹿にしている。こんなワナに引っかかる奴がいるもんかとか(居ます)、内装もカッコ悪いとか、とにく何でもかんでも悪くとってしまうというのは、自分で自分の感情を悪化させているようなものだから、本人も辛いはずなのだが止められないらしい。

 基地の中には、オッチョの父さんが使わなくなった古いラジオが置いてある。ケンヂがFENでジャンピング・ジャック・フラッシュを聴いたラジオだ。重ねて置いてある漫画雑誌と平凡パンチ週刊少年サンデーは、ドブに落ちたフクベエのサンデーと同じムササビの表紙の号だから、あれから数日たって、誰かが買ってきたのだろう。


 それにしても、”よげんの書”を基地内の地べたに、ほったらかしにするとはケンヂも迂闊であった。しかも表紙には、しっかりと「よげんの書」と書いてあり、フクベエが好奇心を抱いた現物であることが即座に知れた。スケッチブックを開けば、「きょだいロボット」の絵がすでに描かれている。右のページは空白だが、いずれ後に「さいきんをばらまきながら はかいのかぎりをつくす」等のナレーションが書き込まれることになるのだろう。

 そういうタイミングで、サダキヨは基地に入ってきてしまった。お互い、フクベエとサダキヨという呼び名を知っている程度の仲だったに違いない二人に、絶好の会話のきっかけを与えてしまったのも”よげんの書”だった。なんとも皮肉なことである。自慢話には格好の相手を得て、フクベエはケンヂのマネをして予言者になろうと思い立った。私なら迷わず一緒に平凡パンチを見ると思うな。




(この項おわり)





よく咲き、よく薫るジャスミン。生命力、強し。(2012年9月11日撮影)








































































































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