おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

20世紀最後の路上ライブ    (20世紀少年 第152回)

 第5巻の88ページ目にアコースティック・ギターを掻き鳴らしているケンヂが描かれているが、弾いているだけで歌っておらず、その演奏もすぐに終わった様子なので、ボーカル部分をちょうど歌い終わったところだったのだろう。開けておいたギター・ケースに、今夜もお金は入っていない。

 ところが拍手が起きた。若い男が二人、久しぶりっすね、お兄さんの歌、なかなか良いっすよ、なんか、ひねくれた歌だけど、とコメントも悪くない。たまには、聴いてくれていたそうなのだ。ケンヂにもファンはいたのである。カンナ以外にも。かつてはロック・バンドで鳴らしたケンヂも、久々に注目を浴びて照れている。


 あと片付けをしながら、ケンヂはブラブラしてないで帰れと彼らに伝えている。彼としては、これからどんな恐ろしいことが起きるか分からないから警告したわけだが、結果的に、この二人はケンヂがこの日この時この場所でギターを弾いていなければ、もっと長生きできたかもしれなかったのだな。

 二人はケンヂに、なんだか不安なんだという。このままこんなことしていて、あと何時間かで21世紀なのに。近代とは不安の時代であろう。あるいは、近代云々にかかわらず、人間はもともと不安から逃れられない存在なのか。最近はキルケゴールフーコーを読んでいるせいか、この2人に妙な親しみを覚える。


 「その年齢でそんなことやっているお兄さん見てると...何かちょっと不安な気持ちが軽くなるんすよね」と言われたケンヂ、「バカ。俺みたいになるのが一番不安だろうが」と正直なコメントで聴衆を笑わせた後で、こう語る。「そのうち、嫌でもやらなきゃいけないことができる」と。

 ケンヂから「良いお年を」と思えば深刻な別れの挨拶を受けて二人が去っていくと、入れ替わりに「おーじちゃん」という掛け声がする。山形から「デンシャいっぱい」一人で乗って、カンナが戻って来てしまった。驚くおじちゃんだが、このシーンを最後に、ケンヂは20世紀の終わりまで野球帽をかぶらない。その帽子は、2014年に遠藤カンナがかぶって再登場する。

 なお、ケンヂとカンナがこのとき交わした会話は、第11巻の23ページからカンナの回想として出てくるのだが、それはそのときに語ろう。次回からは、このブログは巨大ロボットの足跡を追いつつ、脱線に次ぐ脱線を重ねる予定です。


(この稿おわり)



風変わりな花だが、何と云う名前であろう。
(2011年10月30日撮影)