おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

2000年12月31日    (20世紀少年 第151回)

 血の大みそかの始まりである。現実の世界のこの日、私はカンボジアの首都プノンペンに単身赴任中で、暮正月の休みというのに出勤し、翌日から始まるであろうコンピュータの2000年問題や、小渕首相一行の来訪に備えて働いていた。このため、仮に本当に巨大ロボットが出現し、世界中の大都市が細菌兵器に襲われても、多分、助かったはずである。

 2000年問題は、Y2K(year, two, kilo)と固有名詞まで与えられて大騒ぎになったが、事前の手配が良かったのか、それとも心配のしすぎだったのか、カタストロフは起きなかった。カンボジアの電話交換システムが停止して、正月早々メーカーさんが直しにきてくれたが、原因がY2Kだったかどうかまでは知らない。


 第5巻第5話のタイトルは「12月31日」。モンちゃんが万丈目を見張っているが、パトカーを引き連れて大名行列のようであり、この調子では作戦決行は無理なので、年越し蕎麦でも買って帰ろうかとケンヂに携帯電話で報告している。

 地下では受信状態が悪く、この電話が途中で切れてしまったため、ケンヂはお出かけすることにした。ユキジは鋭い。山形のカンナちゃん?と言い当てている。しかし、電話は繋がらなかった。

 年越し蕎麦でも食いに行ったかとつぶやいているが、山形はそれどころではなかっただろう。「俺の声、聞かせてやらないと」というケンヂおじちゃんの最後の望みは、このときは果たせなかったが、後刻、あっさり実現した。


 ユキジが声をかけたとき、ケンヂはギターケースを抱えている。機動隊に襲われて逃げたときも、手放さなかったのだ。受話器を置き、ギターを抱えたケンヂが歩いている道は、「静かな大みそか」を迎えている商店街だが、スズランの花をあしらった街灯の独特な形状からして、神田の「すずらん通り」で間違いあるまい。

 すずらん通りは、靖国通の一本南を東西に走っている。東側の入り口は、駿河台下の交差点そば、三省堂の南。ただし、アーケードはないので、ケンヂが弾き語りをしていた一番街は、すずらん通りのそばという設定であろう。


 すずらん通りには、小学館の名を冠したビルもあるし、白山通りとの交差点近くには小学館の本社もある。神田の本屋街なのだ。しかし、あの辺りを歩き回ったことは何度かあるが、アーケード街を見たことはない。わざわざ、インストールまでして GoogleEarth で捜したが見つからない。架空か。それとも当時はあったのか。

 ケンヂはここで、最後になるかもしれないソロの路上ライブをすることにした。漫画には描かれていないが、彼はこのときレコーダーも持っていた。新曲「ボブ・レノン」を録音するためである。この商店街のライブは、十数年後に世界を変えることになった。



(この稿おわり)



スズランの写真が取れなかったので、ジャスミンで代用。
(2011年10月30日撮影)