おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

歌ってよ  (20世紀少年 第332回)

 第15巻の15ページ、ユキジとヨシツネがカンナの噂をしていたころ、当のカンナは街角の電気屋がショーウィンドウに置いたテレビに、紅白で歌う春さんが映っているのを冷めた目で見ながら歩いている。しばらく前なら怒りがわいてきただろうが、今の彼女は父を知り母を知り、なんとも複雑な心境なのだろう。

 しばし人生のこと、暮らしのことを忘れるため、男たちはバーに集まり酒を飲む。だがカンナは一番街に向かった。通い慣れた商店街では、時代遅れの中村の兄ちゃんのような若者が、少なくとも歌詞は今一つの歌をギター抱えて唄っていた。「はー、やっぱり誰も聴いてくれな...」と誰かと同じようなため息交じりの愚痴をこぼす。そりゃあ、紅白の裏番組を路上でやってもねえ。


 しかし彼は足元に娘がうずくまっているのに気付いて驚いた。さらに驚いたことに「良い歌じゃない。もっと歌ってよ。」とリクエストまでもらった。メロディが良いのかな。当人は、オリジナルはこれ一曲で、30分ぐらいかかるのだと照れているのだが、カンナは重ねて「歌ってよ」と頼む。

 この場面を読むとき、私はビリー・ジョエルの「Piano Man」の歌詞を思い出す。サビの部分の「Sing us a song, you're the piano man.」。彼のオフィシャル・サイトによると、ビリー・ジョエルは22歳のときに契約問題がこじれて西海岸に移り住み、ビル・マーティンと名乗ってピアノ・バーで働き始めた。


 1978年の夏休みの夕方、高校3年生だった私は何人かの友人と級友の家に集まり、違法行為と知ってか知らずかビールをいただき、そのあと安倍川の花火大会に行った。飲んでいる間にラジオのFM放送で洋楽のヒット・チャートをやっていて、トップが「サタデーナイト・フィーバー」、2位が「ストレンジャー」だったのを覚えている。この夏、ディスコ・ミュージックとビリー・ジョエルが一緒に日本に入ってきたのだ。

 第22巻によると、ケンヂのバンドのベーシストはビリーで、ドラマーはチャーリーである。私にとってビリーと言えばジョエルなのだが、おそらく二人の呼び名はザ・ローリング・ストーンズのバス・ギター担当、ビル・ワイマンと、ドラムスのチャーリー・ワッツから来ているものではないかと思う。


 ロサンゼルスで買ったビリー・ジョエルベスト・アルバム2枚組は、収録曲がほぼ発表順に並んでいるので、オープニング・ナンバーになっている「ピアノマン」は、本国アメリカでは彼の出世作扱いなのだろう。その次の曲が「さよならハリウッド」なので、このあたりの曲はLAで酔客相手にバーでピアノを弾いていたころの作品に違いない。

 「ピアノマン」のイントロはボブ・ディラン風のハーモニカ。その歌詞は、仕事と客に対する愛着とやるせなさが一緒に込められたようなリアリティー豊かな傑作です。「連中は孤独という名の酒を飲みかわしている。それでも一人ぼっちで飲むよりはましというものだ」。「カーニバルのようなピアノの響き。ビールのような匂いのマイクロフォン」。


 その歌詞の中に、「put bread in my jar」という聞きなれない表現が出てくる。高校時代から愛用してきた英英辞典の大御所、オックスフォードもネットで無料で使えるようになったのだから便利なものだ。「bread」とは、「小麦粉と水とイースト菌を混ぜ合わせて焼いたもの」。なるほど。そして2番目に、俗語(informal)として、「money」の意味もあるらしい。

 ジャーというのは、なぜか日本の家電業界は炊飯器や魔法瓶にばかり使うのだが、口の開いた保存用の容器全般のことである。バーの止まり木に並んだお客は店にある器の中に、ピアノ弾きへのチップを払ってくれるのだ。しかし、2000年のケンヂも、2014年の弾き語り青年も、せっかく開いて置いたギター・ケースに誰も小銭を入れてくれない。カンナがちゃんと心付けをしたかどうか、急に心配になってきた。


 それはともかく、カンナは久しぶりに、とても穏やかな表情をしている。この日ここで歌っているギタリストがいて、本当に嬉しかったに違いない。「歌ってよ、ここで歌ってた人のために」と催促されて、男が歌い出し、カンナはケンヂと3歳の自分を思い出している。

 ユキジによると、このころのカンナは殆ど寝ていない日が続いていたらしい。道端で彼女は寝込んでしまった。つい何日か前も、鳴浜病院の前で同じように膝を抱えたまま座り込んで夜を明かしたカンナである。もっとも、そのときは元映写技師の老人が、朝になってお茶とお握り持参で、彼女を起こしにきてくれた。だが、この夜は...。



(この稿おわり)



朝日を浴びてサクラソウ(2012年4月15日撮影)