映画で、蝶野刑事が「ボブ・レノン」を聴いているときに挟み込まれている短いカットは、○龍でケンヂとカンナがチャーシューおまけ付きのラーメンを食べているシーンや、暗くなった一番街商店街でギターケースをはさんでケンヂとカンナが話をしている場面だ。セリフは無いが、「カンナ、話があるんだ」で始まる悲しい会話だろうか。
カンナに向けた歌だとすれば、「分かる奴」になってしまったカンナもそれを感じ取り、ほかのケンヂおじちゃんの歌のどれよりも大切にしたのも自然のことだろう。それに、漫画も、この考え方で読める。
原作の漫画ではどういう展開だったかというと、12月31日の夕刻、ケンヂは山形のおばあちゃんの家に電話を架けている。だが、電話には誰も出なかった。このころカンナが行方不明になっており、みんなして探していたのだろう。
ケンヂは、ユキジにこう説明している。カンナに自分の声を聞かせてやりたい。今夜は、もしかしたら...。でも、電話では話せなかった。このため、ギター抱えていつもの商店街に行き、新曲を録音して、出動にあたりカンナに託している。商店街は彼らの聖地なのだ。
酒屋の時代も、コンビニに変わっても、さらに、指名手配犯になっても二人が共に過ごした日々は商店街にある。新曲の歌詞の内容も、商店街的だ。「そんな毎日」とは、商店街的平和といってもいいし、オッチョの表現を借りれば「普通に生きること」だろう。
ケンヂが真似したのはボブ・ディランと、ジョン・レノンということになっている。彼らが「普通に生きる」人たちかどうかは議論の余地がありそうだが、ともあれ、麻薬中毒の時代を除けば、単純明快が信条のジョン・レノンは、ひたすらと言っても良いほど愛と平和を直接、言葉にして歌い続けた。
前にも話題にしたが、1969年のウッドストック・フェスティバルは、日本では愛と平和の祭典ということになっており、それはそれで間違いではないのだが、チケットの写真などから、主催者側の表現は「平和と音楽」だったことがわかる。60年代はロックと、加えてベトナム戦争の時代だったのだ。
ボブ・ディランは、正面切って平和だ愛だと言わない。全曲知っている訳ではないが、私が知る限り、彼は比喩が好きであり、歌詞も昔の日本の歌謡番組のように、一番だけかせいぜい二番までしか歌わないという前提で書かれたものではない。
叙事詩的であったり、似たような繰り返しが、段々と激烈な調子になっていったりと、ディランいわくロバート・ジョンソンがそうだったのであり、彼はジョンソンのようになりたかったと明言している。
初期の代表曲「風に吹かれて」も、最初は比較的、穏やかな歌詞だが、最後のあたりは怒りが収まらなくなっている。そういえば、彼の自伝には、面白い一節がある。「新しいニュースは悪いニュースばかりだ。一日中それを聞かされなくてもいいのはありがたい。二十四時間のニュース放送は、生き地獄に違いない。」
今週の新しいニュースはオリンピックなら歓迎だが、もう一つ、領海侵犯の話題が絶えない。これが領海問題から領土問題になる日が来たら、どんな騒ぎになるのか。「地球の平和を守るために」は、フィクションなら爽快だが、現実の世では、あらゆる蛮行を外患退治の正当防衛にしかねない。
もうすぐ8月15日。くれぐれも、鎮魂の日を汚すことなかれ。
(おわり)
ボブ・ディランのライブ会場にて
(2016年4月21日撮影)
Come, you, masters of war. You that build the big guns,
you that build the death planes, you that build the big bombs,
you that hide behind walls, you that hide behind desks.
I just want you to know I can see through your masks.
「戦争の親玉」 ボブ・ディラン (お面をしているらしい)
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