おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

献杯  (20世紀少年 第331回)

 羽田の秘密基地でヨシツネが、ゆく年くる年のスピーチを始めたのは、白組の大トリの春さんが歌っている時間帯だから夜の11時半ごろか。冒頭、隊長はカンナのカセットで聴いたというケンヂの歌の一節を引用している。「みんな家に帰ろう」、「誰にも止める権利なんかない」。

 ちなみに、第7巻の「ボブレノン」の歌詞では、この二つの詞の間に「邪魔させない」が入っている。この曲の特徴であるFからFmに転調する箇所の一つだ。ケンヂのボーカルの音量は、活字の大きさで表現されているが、「誰にも止める権利なんかない」で最高潮になっている。


 第4巻の152ページ目、再会したオッチョに対してケンヂが近況を伝えているシーンがあり、路上ライブでは”ともだち”の息のかかった警察に捕まらないよう、「奴らにわからないように、わかる奴にだけわかるように、誰かこの歌の意味、わかってくれって」願いながら歌ってきたのだという。

 しかし結果は、「てんで聴いちゃくれねえ」のだ。ケンヂは他の機会にも何度か、「聴いてくれねえ」、「立ち止まってもくれねえ」と自嘲気味に話しているのだが、このページの絵ではギター・ケースに若干の小銭が入っている。1997年当時は、聴いてくれた人もいた。しかし、2000年の10月と12月のギター・ケースは、世紀末の世相を反映するかのように空のまま。


 ヨシツネは引用した歌詞について、「その通りだと思う」と感想を述べている。血の大みそかの一番街の若者二人組、カンナに続いて、4人目の支持者を得たか。いや、蝶野刑事やウジコウジオのお二人も加えるべきか。そのうち、嫌になるほど「わかる奴」がケンヂのあとを付いて回るようになる。

 ヨシツネの音頭取りの口上は、「帰れなかった者達へ...」、「いつか帰れることを信じて...」となっている。壁に並んだ写真のうち、ケンヂとフクベエとモンちゃんは不帰の人となった。だが、このヨシツネの「帰れなかった者達」を死んでいった者たちととると、後半の「いつか帰れることを信じて」につながらなくなってしまうな。


 もっとも、この後半部分は生きているはずのオッチョや、自分と同じくドリーム・ランドのテロリスト紹介コーナーで「死んだ」ことになっているマルオに捧げた言葉なのかもしれない。あるいは、隊員たちほか2000年12月31日以降、家に帰れなくなった人々みんなに伝えたい祈りか。誰にも邪魔されずに家に帰ることのできる日々を取り戻そうということか。

 そのあとで一同は、「献杯」をしている。乾杯ではなくて、献杯広辞苑によると献杯とは、「(敬意を表して)さかずきを人にさすこと」である。基地には酒器がないらしい。みな、お茶碗で献杯している。


 隊長のスピーチは、「今年一年、皆、ご苦労だった。来年はいよいよ大変な年になりそうだ」と続く。確かに2014年は、コイズミのヴァーチャル・アトラクションあり、桃源ホームの救出劇あり、ここには居ないがカンナもカジノだの教会だの鳴浜町だのと苦労を重ねてきた。もっとも、たぶん一番苦労したのはオッチョだと私は思うのだが、ヨシツネはまだ知らない。

 隊長は年明け早々の活動方針として、重要人物の山根の調査、そして”ともだち”という本丸に一気に攻め込んで、もう彼の思う通りにはさせないというものだったが、まさか年明け早々、その二人が不帰の人になるとは思いもよるまいなあ。


 ヨシツネはここまで堂々と語ると一息ついて、「一応、リーダーっぽく言ってみたが、これくらいが僕のスピーチの限界だ」と正直に締めくくって、しんみりとしてしまった一同の気分を和らげている。ヨシツネのスピーチは、ともだち歴3年の解散式や決起集会でも、国連の表彰式でも惨憺たる出来栄えに終わり、確かに「これくらいが限界」は、そういう意味で間違いではない。

 ともあれ、立派な演説だ。お疲れさま。隊員はさっそくユキジの手料理を食べて感激している。そのユキジはヨシツネにカンナの行き先を訊かれて、東京に戻っていることを伝えた後、「きっとあそこに行ったのよ」とケンヂの写真を見上げている。ここでの「あそこ」とは、ケンヂ終焉の地であるはずの「ともだち広場」などではない。大みそかといえば一番街商店街だ。


(この稿おわり)



イチョウの新緑(2012年4月13日撮影)