おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

表紙     (20世紀少年 第44回)

 
 今日は旅行帰りなので、軽く流します。「20世紀少年」の漫画の単行本は、カバーの装丁に幾つかの特徴がある。

 これら表側の絵の多くは、「その巻の主な登場人物」と「背景」の組み合わせになっているのだが、この背景の絵が何なのかよく分からないものが多い。なぜだろう。ぼかしてあるし、何が描かれているかさえ、判然としないことも多い。


 第1巻の背景は、巨大なロケットか何かの打ち上げのシーンのようだが、少なくとも第1巻の内容と直接関係はない。

 あるいは、はるか後段で登場する「しんよげんの書」に出て来る「火星移住計画」を暗示したものか?第2巻、第3巻になると、さらに不明だな。


 他方で「その巻の主な登場人物」のほうは鮮明なタッチでフィーチャーされており、第1巻の場合は、ケンヂとヨシツネとマルオの3人が、ウルトラマンの真似をしているところ。

 このウルトラマンの必殺技「スペシウム光線」は、3分近く戦う前に、さっさと使えば良いのにと思うのだが、それはともかく、当時の子供たちにとって、これとイヤミの「シェー」は、遊びの必須科目みたいなものであった。


 私の場合、スペシウム光線は、水平に曲げる腕と垂直に曲げる腕は、それぞれ左右のどちからなのか、とか、どちらが前(敵側)でどちらが後ろ(手前)に来るのかなどという不毛の議論を友達としたことがある。

 これは意見が分かれて決着がつかなかったのだが、第1巻のケンヂたちが正しい。


 次いで、「20世紀少年」の英語のタイトルは、「Twentieth Century Boys」になっている。先述のように、「boys」は複数形であり、かつ、定冠詞の「The」が頭に付かない。

 したがって、「20世紀少年」とは特定の誰かではなく、例えば、20世紀に生まれ育った少年みんなを指す言葉という理解が可能である。読者も含まれていると私は思っている。

 後に、第20巻150ページからの場面で、「二人目の”ともだち”」がカンナに「ぼくこそが20世紀少年だ。」と語るシーンがあるが、この「ぼくこそ」が「the」に当たる表現だな。


 さて、もうひとつ、このシリーズの副題、あるいは漫画ジャンルとも呼ぶべき「本格科学冒険漫画」については、長くなりそうなので後日にします。



(この稿おわり)



わが家の「ウォーター・クローバー」。
かならず四つ葉。すべて幸福。 (2011年7月11日撮影)











































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