おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

忍者ハットリくんのお面 【前半】 (20世紀少年 第361回)

 大型連休に岐阜まで旅行に出かけ、親戚の車で白川郷に連れて行ってもらいました。飛騨国の山奥にあり、北の峠を越えれば富山県である。地図でまっすぐ北方面に目を向けると、能登半島の付け根に氷見という響きの良い地名がある。

 この氷見市JR西日本の両サイトによると、同市を走る氷見線には「忍者ハットリくん列車」が運行されているらしい。氷見にはこの列車を走らせる立派な理由がある。漫画作品「忍者ハットリくん」の作者である藤子不二雄Ⓐ氏が氷見のご出身なのだ。


 同氏はかつて、藤子不二雄という日本漫画史上、最も偉大な漫画家コンビを組み、私が子供のころ大量の傑作を世に送り出した。パーマンオバケのQ太郎、怪物くん。私は特にパーマンが好きで、幼稚園児のころ制服をだらしなくマント風に羽織って、高いところから飛び降りて遊んだ。ちなみに、世代柄、ドラえもんの影響は全く受けていない。

 漫画やアニメの「忍者ハットリくん」は、覚えてはいるが、なぜかあまり強烈な印象は残っていない。犬が出て来たのを記憶しているくらいである。「20世紀少年」の雑誌連載当時、若い読者はこのお面が何なのか、ご存じなかった人も少なくなかろう。ラブコメならぬ忍者コメであった。


 藤子不二雄は、安孫子氏と藤本氏の氏名を組み合わせたペンネームで、第5巻から登場する漫画家のウジコウジオこと金子氏と氏木氏は、もちろんこの二人がモデルになっている。のちに第19巻で、金子氏のみが通行手形で大活躍を見せるのは、「忍者ハットリくん」を描いた安孫子氏へのオマージュか、あるいは悪役の小道具に使ったお詫びかな。

 このお面を付けて登場した大人は、サダキヨが「ともだち博物館」でコイズミにした悪ふざけを除けば、1997年の「ともだちコンサート」、2000年のビルの屋上からフクベエと一緒に落ちた男、20世紀が終わる直前にケンヂに素顔を見せた者、2001年元日夜の理科室に現れた男。このうち、明らかに嘘と思われる屋上から墜落した者以外はみなフクベエと考えて差し支えあるまい。


 第13巻の19ページで、彼はビルから転落して死んだはずだと疑念を呈するユキジに対して、ヨシツネは「遺体の確認は誰がした」と、珍しくユキジよりも冴えている。続いて、教科書の写真を撮った男、小学校でスプーンを曲げた男、これらはすでに小欄で話題にしたが、最後に「そして何よりも、答えはずーっと、僕たちにつきつけられていた、あのお面...」と真相に迫り行く。

 もっとも、揚げ足を取るようだが、上記のうち実際にヨシツネやユキジが、「あのお面」の現物を観た形跡はない。情報源としては、「ともだちコンサート」の話をケンヂが語ったか、われわれが知らないだけで21世紀に入ってからは、”ともだち”は頻繁に忍者ハットリくんのお面姿で登場していたのか。


 そして、もう一つ、ヴァーチャル・アトラクション。コイズミは「グルグルうずまき」という報告しかできなかったが...。屋上であのお面をつけていたのは、大人の顔と子供の体のサダキヨであったが、むろんこれは「1970年の嘘」の一環である。

 「あのお面」の少年は、コイズミがヴァーチャル・アトラクションに侵入して早々、「遊ぼ」と言って駆け去った子、ケンヂが「ともだちコンサート」の直後に思い出している木陰で「遊ぼ」と呼びかけている少年、クラス会の夜、フクベエからサダキヨの名を聞いてケンヂが思い出した走っている少年。


 この走り姿と「遊ぼ」という呼びかけは、どうにもフクベエ的ではなく、サダキヨ的である。第13巻以降の少年時代の描写には、忍者ハットリくんのお面が出てこないので、どうにも推測しようがないのだが、ケンヂの昔の記憶が正しいのであれば(勇気と決断を要する仮説の設定である)、サダキヨは忍者ハットリくんのお面をかぶっていた時期があったが、何者かによって、その使用を厳禁された可能性がある。

 少年の走り方と列車のスピード感には、忍者のイメージが似合う。サダキヨが走る姿は、第11巻のところで触れたが、ケンヂの背中に「ズルはダメだよ」と言い残して、風のように去った。これはケンヂが生涯わすれることのできないサダキヨの強烈な人間風景になった(「翔ぶが如く」第3巻「右大臣」に出てくる司馬遼太郎の表現の真似)。


 ヨシツネの記憶は、”ともだち”暗殺の速報に触発されて、ようやくフクベエの苗字にたどり着いた。ヨシツネの発言は「服部」と漢字で表記され、「ハットリ」とカタカナでルビが振ってある。直後のオッチョの「服部」には、「フクベエ」の振り仮名が付いている。

 ヨシツネもオッチョも、フクベエの姓が服部であったことを思い出したのだ。そして少なくともヨシツネは、忍者ハットリくんのお面がなぜ選ばれていたのかも知った。読者もここにきて初めてフクベエの名字を知ったのだ。これらのことについては次回もう少し詳しく考えてみたい。



(この稿おわり)



白川郷(2012年5月2日撮影)