おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

トランシーバー  (20世紀少年 第354回)

 第12巻第12話の「ともだちの顔」の冒頭で、久しぶりにケンヂが登場する。血の大みそかの顛末は起承転結でいうと、時系列で「起」の部分が第5巻、「承」と「転」が第7巻から第8巻にかけて描かれていて、この第12話は「結」に当たる箇所である。その内容に入る前に、少し寄り道したい。

 血の大みそかの夜の作戦行動において、ケンヂたちが用いた通信手段はトランシーバーであった。特に、第7巻には何回も出てくる。トランシーバーをご覧になったことがない方のために、神様の証言が第7巻193ページに出てくる。あの夜、神様はホームレスやカンナと地下道を逃げ回りながら、ラジオとケンヂたちのトランシーバーを聴いていたのだ。


 トランシーバーは無線機の一種である。無線にもいろいろあって、例えば東京タワーや今月開業するスカイツリーは、テレビ・ラジオなどの無線を発信する施設であり、わが家のテレビやトランジスタ・ラジオは受信専門の機器である。トランシーバーの特徴は、発信も受信もできるという点にある。双方向の通信機です。

 双方向といっても携帯電話と違う点がある。電話は両方の音声がお互いに同時に伝わる。だが、トランシーバーの一機は一度に送信か受信の片方にしか使えないので、相手が話しているときには自分は聞くしかない。したがって、自分が話し終えたことを相手に伝える必要があるときは、最後に英語では「over」、日本語では「どうぞ」と言って送信を終える。


 携帯電話よりも便利なのは、その周波数に合わせてあるトランシーバーの全てが受信できる点にあり、いわばスピーカー・フォンやテレビ会議の大先輩みたいなものだ。通常、電源を入れただけのトランシーバーは、ラジオと同じような受信の状態にある。送信するときは、ボタンを押すなりスイッチを入れる必要がある。

 例えば、第7巻の186ページでケンヂが「マルオ、聞こえるか?」とトランシーバーに向かって話しているが、たぶん機器のどちらかの側面にそのスイッチがあって、指で押しながら話しているのだ。マルオから「ああ、聞こえる」という返事が返ってきたときケンヂは受信機に戻すためにトランシーバーから掌を放している。他のシーンもそのように描かれている。


 私は仕事で、モトローラ社製の携帯用トランシーバー、ウォーキー・トーキーを使っていたことがある。1990年代後半のカンボジアで、長年の内戦や政変のため社会経済が疲弊していて固定電話が少なく、携帯電話が普及するまであと一二年を要するという時期だった。そのころ政情治安が悪かったので、関係者一同、主に防犯上の目的で無線機を持っていた。飲み会の誘いなども来たが。

 先日、岐阜の山奥に宿泊した際、久しぶりにテレビもなくネットもつながらず、携帯電話も圏外という静かな環境で過ごした。このように、有線・無線に限らず、通常の通信手段はケーブルや発信・中継用の電波塔などがないと、圏外の通信機器は全く使い物にならなくなってしまう。


 この点、トランシーバーは便利で、本体と電源さえあれば、密林でも砂漠でも洋上でも北極でも、電波の届く限り交信可能である。このため、戦争や探検、遠洋漁業や本格登山には欠かせない通信手段となっている。血の大みそかのケンヂたちは、実際そうなったのだが、離れ離れに行動する破目になったときに備えて、トランシーバーを採用したのだ。

 ところで、第7巻の193ページ目で神様はコイズミに対して、「回線をつなぎっぱなしのトランシーバー」から、カー・ステレオに合わせてケンヂが怒鳴り散らすように歌う「20世紀少年」が聴こえてきたという思い出話を聞かせている。このときのBGM、カー・ステレオの音楽は、フクベエが残したカセット・テープのものであった。


 トラックの運転でマルオの両手はふさがっているのだから、回線をつなぎっぱなしにしていたのはケンヂのはずだ。それをやると他者からの通信は入って来なくなるが、それにも拘らず、わざわざずっと送信状態にしていたということは、ケンヂは受信機を持つ全員に、自分とマーク・ボランが合唱する「20世紀少年」を「放送」したかったからだ。

 歌い終えた後でトラックの中の二人は、1973年に第四中学校で鳴り響いた「20世紀少年」のことを話題にしている。マルオは弁当に夢中で気付かなかったというのも彼らしいが、ケンヂの「俺だって忘れてた」というのは、どうだろうねえ。フクベエのこのカセットのおかげで思い出したと言っている。第1巻冒頭のナレーションは、思い出した後のものだな。

 
 1973年にケンヂが放送室をハイジャックして、この曲を流したのは「何かが変わる」と思ったからであり、そしてその間、「俺は無敵」だったのだ。2000年12月31日、20世紀の最後の日、ケンヂは再び、何かを変えようとし、無敵になろうと祈願して、再放送したに違いない。

 その日の結末はともかくとして、その願いは最終的には叶ったと私は思う。彼こそが本当の20世紀少年であろう。


(この稿おわり)




T-REX のカセット・テープ(1985年発売、アメリカ製)