おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

殺生  (第1918回)

 今回は雑感です。いつも政治の批判では疲れます。このようなブログを書いていて大丈夫かと、複数の知り合いに心配してもらっています。私は薄利多売の個人事業ですので、本来は政治と宗教の話題は、できるだけ避けた方が賢明なのです。でも権力中枢にいる政治家が、あまりに情けないので続けています。他人のことをどうこう言える者ではないという自覚がありますが、このことに限れば、言える。

 家族からは、駅のホームで前の方に立つなとまで言われております。東京の駅は監視カメラだらけなので(すぐに犯人が捕まります)、まさか、私ごときを葬るような費用対効果が絶無の暴挙に走る人はいないと思うのですが。ちなみに、家族がそう言う理由は、私の死体の本人確認をさせられるのが嫌だからだそうです。止めるもんか。


 これを続けることに意味があると思う理由には、別の心当たりがあります。東日本大震災のとき、我が家もひどく揺れました。当区は震度5強。幸い周囲に怪我人は出なかったのですが、すぐ近所まで計画停電になったり、近くの浄水場で基準値を超えるセシウムが出たりと、騒ぎは続きました。

 それに広域で被害が量的にも質的にも甚大であり、まだ終わっていないのですから、この震災は、他の地で起きている震災ほかの悲惨な自然災害と比べて、自分にとっては意味が異なります。今でも新聞やネットに記事が出れば必ず読みます。


 当時、印象的だったことの一つに、宗教界の動きがあった。仏教と神道キリスト教の聖職者が、ともに動きました。私は無宗教ですが(実家が仏教なので、墓参りや法事には参ります)、あのころの自分は宗教的だったなと今も思います。そのころ新聞に載っていた、あるお坊さんに取材した記事が印象に残っています。

 仏教は殺生を戒める。しかし、現実に食べ物は生き物ですし、蚊に刺されたら叩き潰すし、道を歩けば知らないうちに小さな虫を踏み潰す。人間は殺生せずに生きていくことはできない。だからこそ、仏教は殺生の戒めを説き続けなくてはならない。感謝と謝罪のために。


 昔の人も上手い言葉を作ったもので、無益の殺生と申します。生きていくという利益のために、避けられないなら仕方ない。堅苦しい言葉を持ち出すなら、刑事法の正当防衛も同じことです。ここからいきなり、憲法第9条に入りますが、戦争は、有益の殺生です。

 誤解を恐れずに申し上げれば、自衛のための戦争というのも、集団のレベルでは有益の殺生です。集団のレベルというのも余り上手い言い方ではありませんが、目の前の敵兵を殺さないと自分が殺されるという場面に遭遇すれば、私も殺生に走りますし、死ぬのを避けるためには仕方がなかったと自分に言い聞かせるほかありますまい。

 でも、国家権力は、そんなこと知ったことではありません。兵士だろうと民間人だろうと、自国民だろうと外国人だろうと、勝とうと負けようと、殺人罪にはなりません。自衛であろうと、お国のため、という利益のためなら、そういうことになります。


 国家権力の集まりである国連は、その憲章において、自衛のための戦争を認めています。それどころか、国連軍の規定まである。今なお、仮想敵国は日本とドイツが主なメンバーだそうです。前科の期間が、長すぎやしないだろうか。それに、シリアにミサイルを撃ち込むのは自衛のためですか。

 日本国憲法の第9条は、いずれその著作に詳しく触れたいと思うのですが、井上達夫さんのご指摘どおりで、文理上は、日本語が分かる人なら誰がどう読んでも、非武装中立です。吉田茂も、最初のうちはそういっていました。そういえば、吉田の自由党には、同時期に岸信介辻政信が国会議員として所属していました。いわば今の最大与党の御先祖であり、その文化や伝統や道徳を私に押し付けてきます。たまらん。


 このブログは、憲法第9条に関して、極めて歯切れが悪いことを自覚しています。宮古島石垣島にミサイル基地をつくるのは、どう考えても災害救助の範囲を超えています。そういう自衛隊は、正確を期せば自衛官ではなく、そういう自衛隊を行政府に置いてきている歴代の内閣総理大臣憲法に違反しています。成文法の筋を通せば、そう考えるほかありません。

 実際には、日本海に向けて何発もミサイルを撃ってきた国があり、近ごろ少し大人しいものの政体は不変です。だから軍備は必要だというのは否定できない現実論ですが、かと言って私も、国会やネットでそう騒ぐ連中が命をかけて戦うだろうと期待するほどの阿呆ではない。

 かくして堂々巡り、というより当てもなくさ迷っているのが、私の第9条に対する気持ちです。結論が出るかどうか自信がありませんが、それまでは、先ほどの仏教の殺生戎のとおり、現実がどうであろうと、先の戦争で亡くなった人たちへの感謝と謝罪を忘れることなく、今の政権に第9条は変えさせないと言い続けます。ホームでも、できれば電車の中で座りたいときは、前に立ちます。




(おわり)




火星と申します。 (2018年8月9日撮影)


































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