おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

政教分離のこと  (第1345回)

 政教分離は、難しい。三権分立や平和主義や基本的人権といった日本国憲法の主たる理想・概念は、その憲法の下で生まれ育った者にとって、長年のお付き合いからくる実感として「無いよりも、有った方が、ずっと良い」ものだし、多くの国家において、共有され尊重されているはずの価値である。

 しかしながら、政教分離は国内でこそ浸透している理念だが、海外ではそうでもないことを私たちは知っているし、それで困っている訳でもない。イスラム教国の中には、コーランがあるから憲法はなく、宗教の指導者がそのまま政治の指導者になっている国もあると聞くが、こちらとしては世の中広いなあと思うだけで、穏やかに別世界の存在を受け入れている。


 さらに、日本が明治維新以降、何かとお手本にしてきた欧米の国々においても、政教分離は有ったり無かったり、あっても多種多様のようだ。ヨーロッパの選挙報道など聞いていると、ときどき「キリスト教なんとか党」なんてのが、それなりに票を集めている。バチカン市国に至っては、宗教立国としか言いようがなく、政教は分離すればよいというほど単純なものではないのだ。

 アメリカ合衆国は、プロテスタント清教徒が建てた国家ということになっているので、キリスト教は重要であり、大統領の就任式にもお出ましになるし、クウォーター(25セントのコイン)などには「In God We Trust」と刻印されている。


 でも国民の殆どが移民またはその子孫だから寛容も必要で、私でもクウォーターは使えるし、イヴのパーティにも呼んでもらった。ところで、一度だけ米国で裁判の証人として、法廷に呼び出されたされたことがある。

 最初に裁判官が聖書を取り出して、「汝、キリスト者なりや」とお尋ねになった。ここで「君らの神は信じない」などと言うと心証を害する。無宗教と言うと、野蛮人かコミュニストと疑われ、せっかく応援に来たのに帰れと言われるのも癪だ。

 そこで前回の言いつけを守り「仏教徒です」と答えたところ、ジャッジはあっさりバイブルを引っ込めて、「それなら、好きなやりかたでいいから宣誓して」というから、単に相手が口にする言葉をそのまま復唱し、「嘘はつきません」と、これは仏の教えにも親の教えにも背かないので約束したところ、裁判が始まった。その程度である。


 だが、日本の憲法国民感情は、政教分離について世界でも最も厳しい部類に属するという説を聞いたことがある。まず、いろんな本をみると、政教分離という考え方が発展したのはヨーロッパにおいてであり、何百年かそれ以上にわたる宗教間の争い、あるいは政治と宗教の争いがあり、個人の自由尊重の気風が生じたのを機に、もう止めようぜという具合になった。

 しかし、日本では歴史的な事情が異なる。宗教間の争い事や、政治と宗教の対立ならば日本の歴史にもあった。古いところでは蘇我氏物部氏、鎌倉仏教の流罪キリシタンの迫害。拙宅そばにある谷中の天王寺は、不受不施派日蓮宗であったが、江戸時代に邪教とされて徳川の弾圧を受け、がんばった高僧が遠島、天台宗に宗旨替えとなり現代に至る。


 しかし何より、このあたりから言葉を選ばないといけないが、近代における国家神道の登場が、今の憲法に大きな影響を与えている。日本の政教分離は、憲法第9条と密接な関係にあるのだ。かつて御一新でできた政府は、主に欧州先進国の諸制度を輸入したのだが、立憲にあたり政教分離には目もくれなかった、と理解している。

 なんせ、錦の御旗を奉じ、王政復古の大号令をかけ、大政奉還をうけて新国家になったのだ。今さら離縁はできず、むしろ異論が出ないよう明治憲法において、ど真ん中のストレートを投げた。投げたはずだったが、ストライク・ゾーンを変更するという「憲法の解釈」が行われた模様。やはり歴史は韻を踏む。では、旧憲法の関係箇所を私なりに選んで、条文二つを引用する。


  大日本帝国憲法

 第一条 大日本帝国万世一系天皇之ヲ統治ス

 第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス


 万世とは、過去だけではなくて、未来も含め「ずっと」という意味らしい。過去だけなら茨城のり子さんが「系図」でご指摘のとおり、私も蛙も大昔から家系なら必ず一本ある。でも、千代に八千代に続くかどうかとなると、この国では観念的に天皇家だけということになっているらしい。この有難さを無類のものとし、統治者に選んだのが明治の憲法だった。

 また、第三条をみれば、天皇がただ単に、王侯貴族の最高位であるという血統上の説得材料だけが強調されているのではなく、神聖という言葉を使っている以上、宗教において信仰される側であり、「侵スヘカラス」ということは、他の宗教とは別格の不可侵性を有するということです。


 かくて王政復古も勢いがついて、本当かどうか知らないが、「まつりごと」とは政治と祭祀の両者を兼ねたという時代まで戻ったようだ。源氏物語でさえ「帝」である。天皇を神様としたのは万葉集のころと、昭和時代だけではないかな。そうする必要と利便性が、統治する側にあったのだ。

 わが広辞苑は語る。【政教分離】「信教の自由を保障するために、政治と宗教が相互に介入することを禁止すること」。つまり、政治と宗教の実力団体は、他の信条の持ち主に対して、往々にしてたいへん厳しい。排他的になりやすい。

 したがって、法律や軍事を扱う政治と、人の心を預かる宗教が、国家権力の座で結びついたとき、歴史的にみて、今のバチカンのような上手くバランスがとれた感じの組織運営が難しいのは明らかで、排除と強制の嵐が吹く。被害者は個人であり、死ななくても済んだであろう戦争で死ぬところまで追いつめられるおそれがある。さて、準備運動終わり。憲法に戻ろう。






(おわり)






なぜか千鳥ヶ淵にもある春日村のさざれ石。
(2016年9月13日撮影)






そろそろ朝顔の季節もおわりです。
(2016年9月17日撮影)





















.