おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

働くことの権利と働くことの義務  【前半】  (第1291回)

 勤労という言葉は、やや堅苦しく古めかしく感じるため、ここでは主に、勝手ながら「働く」ことと言い換えます。前回の私見のとおり、これは賃金労働だけではなく、農作業も社長もフリーランスも、家事・育児・介護も、民生委員や町内会長のお務めも含むはずだ。英語版では「work」でした。学校の宿題も、持ち帰り残業も、ホーム・ワークだ。

 文面上、権利と義務という本来は対立的な概念が、ただ並んでいるので、何となく違和感がある。でも、憲法では使い方が違う。権利は国民が国家に対し、主張し請求し行使するもの。義務は国民が、自らに課し履行するものだ。


 憲法本来の性質・位置づけからすれば、そういうふうに読むのが自然だと思います。だから、納税の義務と異なり、約束を果たす相手は国家にあらず、自分たち自身。教育の義務の対象は、保護するボーイズ&ガールズでした。これは言わずもがなのことで、言われて働くものではない。

 この話題は、明治憲法との比較が面白い。大日本帝国憲法には、勤労の権利も義務も規定がない。公務員になる権利と、兵役の義務があっただけ。いずれも天皇が定めていて、国家機構との関わり方の規定になっている。臣が朕のために働くのは議論以前の問題で、そういう意味では子供のころから働くのは「当たり前」と決めつけていた私は、万世一系の臣民の血筋なのだろうな。


 さて、憲法において国民の権利を保障するというのは、なるべく平たくいうと、「国は邪魔しないこと」および「国民が権利をうまく使えなくて困っているとき、国は助けること」ということだと思う。後者はこれまでの例でいうと、第25条の生存権における社会福祉社会保障の制度や、第26条も含め学校や子供を守る施設などの社会インフラストラクチャーの整備などなど。

 勤労の権利も、この文脈で読もう。「邪魔しないこと」については、すでに「職業選択の自由」が出て来ている。さらに、病気や障害や高齢や家庭の事情で、働けない人が「働けるようになるまで、働かない」という権利の保留も保障されなくては困る。社会主義全体主義の思想には、これが欠ける。辛かったら休んでいい。出直せばいい。


 そして何より、労働の分野では国が「助けること」が重要で、生活するため働きたいし働けるのに、仕事がない人を救い出す制度・施設(ソフトとハード)を整える責任を国に求めている。この「生活するため働きたいし働けるのに、仕事がない」状態は、雇用保険法における「失業の定義」に等しい。「ごくつぶし」「すねかじり」は、失業手当をもらうことはできない。病気・ケガの場合は、治るまで待ってもらうこともできる。

 雇用保険法 
第四条 第三項 この法律において「失業」とは、被保険者が離職し、労働の意思及び能力を有するにもかかわらず、職業に就くことができない状態にあることをいう。


 公共職業安定所ハローワーク)の機能は、この失業手当(雇用保険の基本手当)や、育児・介護で休業中の方々の賃金補償的な諸手当、それから、主要業務である職業紹介、職業訓練など多岐にわたる。これを「勤労の義務」に対する国の措置と位置付けるのが一般的な解釈らしいが、先述のとおり私はこの義務が国の命令とは考えていないので、これは先述のように、権利行使のお手伝いだと思っている。

 換言すれば、賃金労働の能力はあるが、この権利を行使する意思も必要性もない人たち、例えば金利生活者や年金生活者の専業主婦の一部は、ハローワークに通う必要がないし、この分野で私たちの税金は、そういう人たちのために使われているのではない。

 念のため、そういう人たちを責めているのではない。現実に昔から普通に居るのだし、悪いことをしているのでもない。気になるのは、近年の我ら日本人が、経済的にも精神的にも苦しくて、「不労所得」に厳しくなっていることだ。私の財布が淋しいのは、彼らのせいではない。


 では、勤労の義務は、なぜ憲法にあるのか。以前、私は三大義務がないと「国が立ちいかなくなるからだ」と書きました。間違ってはいない。国政の運用には、物件費も人件費も掛る。ただし、それだけなら、古今東西、「納税の義務」の出番ということだろう。社会保障費は法律上、税金ではないが、財政学上は同じものだと聞いた。国の経営は、大原則、税金です。

 しかしながら、私たちは何もかも国の世話にはなっていないし、なりたくないし、なれないだろう。衣食住を中心に、「健康で文化的な最低限度の生活を営む」ためには、私たちは他にも金銭的、労力的な貢献をしないといけない。公共料金や高速道路の料金も払うし、商店街やPTAやマンションの管理組合も、誰かが役員をし、他は会費を払う。

 そうしなければならないという宣言と、その理由を、私たちは憲法の第12条の前半に書いている。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」。幸福の追求も学問も私有財産も、やるべきこと(不断の努力)はやりつつ、自由にやろうぜという意味だと思います。つづく。

 



(おわり)






ご近所の商店街にて  (2016年10月2日撮影)




























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