おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

第26条および第27条の権利と義務  (第1289回)

 今回は何だか法律書みたいな堅苦しいタイトルになっておりますけれども、どちらかと言えば最近がんばりすぎた私のペースを調整する回。第26条の教育と、第27条の勤労について、ひさしぶりに英語版を読んでみたり、共通点を探ってみたりしたくなった。まず、英語版は次のとおり。

 Article 26.  All people shall have the right to receive an equal education correspondent to their ability, as provided by law.
All people shall be obligated to have all boys and girls under their protection receive ordinary education as provided for by law. Such compulsory education shall be free.

 Article 27.  All people shall have the right and the obligation to work.
Standards for wages, hours, rest and other working conditions shall be fixed by law.
Children shall not be exploited.


 以下、雑感。第26条第1項に出てくる「その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利」は、英語だと「the right to receive an equal education correspondent to their ability」となっている。「平等」は誰もみな同じという意味だが、無条件で均一なのは第2項の義務教育であって、第1項は違う。「その能力に応じて、ひとしく」。英語も同じ。

 つまり、憲法だから「国の理念としては」であるが、同じ学力の者は、同じ教育を受ける権利がある(権利だから辞退するのも自由)ということだ。大学で勉強する能力がある者は、大学に進む権利がある。現実には、健康や経済力の差で違いが出るし、試験問題の相性で合否が決まることもある。平等や権利は、教育に限らずそういうものだ。同一の結果まで保証されているわけではない。


 日本語だと法律で「定める」というふうに同じ動詞を使っているが、英語では第26条と第27条で異なる。残念ながら、私にはこの微妙なニュアンスの違いが分からない。おそらく、であるが第26条の「be provided by law」は随所に出てくるので一般的な用法であり、第27条の「be fixed by law」(労働条件)と第10条の「be determined by law」(日本国民の定義)は、意味が強そうだ。

 懸案の第26条「子女」は、英語の場合、「boys and girls」になっていて分かりやすい。「義務」の英単語は、学校で習った日常用語だと「duty」だったが、法律や契約では厳かに「obligation」が用いられる。ノブレス・オブリージュ。さて、この義務だが、権利と一対一の対応にはなっている訳ではないという話題をだいぶ前に掲げた。でも、常に全く別物で、お互い無縁と言えるか。


 特に、次回取り扱う「勤労」では、主体が一緒ということもあって、権利と義務が併記されている。今さらであるが、「国民主権」や「主権在民」にある「権」は、権利や権力だけが国民にあり、義務は関係ないのだろうか。実際、これらは辞書や辞典によって説明が異なり、義務を入れているものと、入れていないものがある。

 僭越ながら、私は義務も、というよりはむしろ「制約」と呼ぶべきものも、含まれる概念だと考える。ただし、「三大義務」のように、義務の対象が明確なものだけではなく、国家権力ほど危険ではないが、国民とて、暴走するおそれはあるはずで、それは、たしなめられている。例えば、権利は濫用してはならないと、第12条にあるように。公共の福祉に反してもいけない。


 これと少し似た考え方は、「親権」にもある。よく新聞やネットの人生相談などで、離婚の際に親権を取るだの取られただのと言っているが、まるで所有権争いみたいで、みっともない。この点については、かつて家庭裁判所の調停員を務めてみえる方から、直接教わったことがある。

 いわく、親権というものは、「権」の字しかないから親の権利だと思われがちだが、同時に親の義務も果たさなければならないことを忘れてはいけない。言われてみれば当たり前のことなのだが、それまでは私も漠然と権利のことしか考えていなかった。


 この調停員さんは、単に自説を展開したのではない。民法に、そう書いてあるのだ。次の文中の「監護」とは、監督および保護のことだそうだ。憲法第26条に定める教育の義務は、民法第820条が引き取っている。ただし、学校教育だけではなくて、家庭教育の権利・義務をも含む規定であるはずだ。

(監護及び教育の権利義務)
第八百二十条 親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。

 さて、次回から第27条、勤労の権利と義務に移る。興味深い条項だと思っている。なお、上記のとおり、英語の「勤労」は、「work」という動詞を使って表現されている。このことも含めて、次からは働くことの憲法上の意味を考えたい。






(おわり)









あの頃は 道に枯れ葉が 音も立てずに 舞っていた
(2016年12月8日撮影)





































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