おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

無い袖は振れない  (第1271回)

 本日は第25条の第2項。第1項で、国民が健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有していることが明言された。権利は、行使してはじめて、その効力を発揮する。行動を起こさなければ宝の持ち腐れ。選挙権も、幸福追求権も、裁判の権利もみんなそうだ。しかし繰り返すが、行動を起こすこと自体は義務ではない。例えば最近、選びようがないなという選挙が多い。

 健康で文化的な最低限度の生活も、極論すれば嫌なら断ってかまわないのだが、憲法が想定する「最低」を下回る生活を求める人は、まずいないはず。そのためにも、学問と勤労の義務を果たして、衣食住の不足が無いように、われわれも張り切る必要があるというところまで、前回でたどり着いた。

 しかし、世の中には障害や重病で働きたくても働けない人がいるし、短期的には災害で住居を失ったり、会社が倒れて失業したりで、最低限を割ってしまうことは決して珍しくない。そこで第2項は、国の出動を要請している。いつものように、比較から。


  【現行憲法

第二十五条二 国は、すべての生活部面について、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

  【改正草案】

第二十五条二 国は、国民生活のあらゆる側面において、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。


 改正草案における変更点としては、生活の前に「国民」を付した。国民の定義は、既出のとおり日本国籍を有する者であった。改正草案は、日本国籍を持たない者を、第25条第2項から除外したことになる。

 いまや我が国には、家庭生活から企業経営にいたる各所において、外国籍のみなさんの多大な尽力を得ているのだが、眼中にない。一部の国民は、よろこびそうだが。


 一部の国民がよろこびそうな予感がすることと、第2項の最後が現行も草案も「努めなければならない」になっていることの間には、共通の事情があると思う。無い袖は振れない。

 第2項で言及されている社会福祉社会保障は、貨幣経済下で行われる限り、部分的には現物支給もあるが、基本的には、お金の提供だ。予算がないと削られてしまう。さもなくば増税社会保険料率の引き上げ。厳しい選択は続く。


 国や地方公共団体予算の使いみちのうち、社会保障社会福祉は、他との優先度を比較した場合、公務員給与や国会・裁判所の維持費、義務教育の運営費などは不可欠なので、努めよという第2項の書き方からすると、第1項を補助する予算は一番手のグループではなく、優先順位が低いらしい。実際、予算費目中で最大割合を占める社会保障費は、じりじりと削られている。

 仕事柄よく使う労働法には、「努めなければならない」が頻出する。会社に強制的義務を課して、潰れてしまったら元も子もないということで、これら法律一般でいう「努力義務」という書初めの文言のような規定がたくさんある。欧米の法律家によると、努力義務など法律ではないと言い切る人もいると聞いたことがあるが、総本山の憲法に類似品があるのでは、どうにも止めようがないな。それに「最低限」も抽象的だし。


 国・地方公共団体の制度で代表選手を挙げれば、社会福祉生活保護社会保障公的年金、公衆衛生は保健所といったところか。保健所で予防接種をしてくれたり、野良犬の駆除をしているのは、健康な生活を営むにあたり、個人の努力では至難である対応策を公的機関が代行してくれているわけだ。行政サービスである。これは分かりやすいし、だれも異論のないシステムだと思う。問題はお金の部分である。

 生活保護公的年金が、第25条を根拠条文にしているのは、それぞれの法制度を構築している法律の目的条文を見れば明らかだ。おまけに、前回あれだけ悩んだ健康と健全の違いは、少なくともこれらの条文の世界では、大した問題ではないことも確認できる。


国民年金法: 第一条 国民年金制度は、日本国憲法第二十五条第二項に規定する理念に基き、老齢、障害又は死亡によつて国民生活の安定がそこなわれることを国民の共同連帯によつて防止し、もつて健全な国民生活の維持及び向上に寄与することを目的とする。

生活保護法: 第一条 この法律は、日本国憲法第二十五条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。

地域保健法: 第一条 この法律は、地域保健対策の推進に関する基本指針、保健所の設置その他地域保健対策の推進に関し基本となる事項を定めることにより、母子保健法(昭和40年法律第141号)その他の地域保健対策に関する法律による対策が地域において総合的に推進されることを確保し、もつて地域住民の健康の保持及び増進に寄与することを目的とする。


 さて、これらは何とも有難いことである、と感謝して通り過ぎて良いものかどうか。うまい話には裏があると申します。さらに言えば、裏もなにも、我ら日本国民は、憲法の第12条で権利の濫用を自ら戒め、第13条では公共の福祉に反してはいけないと誓った。例えば、濫用防止とまではいわないが、公金が足りないとき、お金を遠慮する制度がある。法律にある。

 国民年金法の第二十条の二には、「受給権者の申出による支給停止」という規定がある。厚生年金保険法にもある。老齢年金は、「当面、要らない」と、かっこよく辞退できるのだ。だが、この制度は余り知られていないと思う。政府も報道機関も、どこからどういう圧力があるのか知らないが、固く口を閉ざしている。お金持ちほど、お金を欲しがるというのは、経験がないが本当らしい。ここで、続きは次号といたします。






(おわり)





この花は何というのだろう。
こどものころ、実家の玄関先に、いっぱい咲いていたのを覚えている。
(2016年10月3日撮影)









































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