おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

働くことの権利と働くことの義務  【後半】  (第1292回)

 前回、失業保険のところが妙に詳しくなったのは、この制度にお世話になったことがあるからです。もう十年ほど前になるが、約8か月、完全に失業した。その期間のうち、半分以上は雇用保険から生活費の補助を受けている。手当の受給資格とその金額・期間は、ご存じのように過去、自分と勤務先が支払った雇用保険料の記録に応じて決まる。「不断の努力」を強調したのは、言葉の遊びではない。我が身のためです。

 ところで、いくら努力しても邪魔だてする者の中に、マルクスエンゲルスが「ブルジョア階級」と呼んだ人たちの一部、現代日本ではブラック企業などと称される悪徳経営者の群れがいる。そして、その下で働きながら全く意識せずして、違法・脱法行為をしている人たちもいる。昔の自分もそういう時期があったので、嫌な話題なのだが避けて通れない。


 三年ほど前だったか、ベテランの弁護士さんから、日本の法令の中で、最も守り辛く、また実際に守られていないのが、労働法と道路交通関係の法令だというご意見を拝聴した。いずれも、複雑多岐にわたり、しかもよく変わるし増える。労働と交通は、私たちの日常生活に密接に結びついているから、法規が社会変動に追いついていくだけでも大変なのです。

 さらに、いずれも誰かの失敗や怠慢が、他の誰かの生命・安全に直接、影響するという恐ろしい世界である。印象に過ぎないが、昔の事件報道といえば怨恨か金欲しさによる暴力沙汰が多かったように思うけれども(凶悪犯罪は、他人事だと思って安心していたような気がする)、今は過労死や飲酒運転事故のニュースが、大きな社会問題になっている。こちらは、他人事ではない。


 労働基準法は、次の第1条を読むと、憲法第25条の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を守るという精神を、そのまま働く場に持ち込んだものであることは明らかだ。

(労働条件の原則)
第一条  労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。
二  この法律で定める労働条件の基準は最低のものであるから、労働関係の当事者は、この基準を理由として労働条件を低下させてはならないことはもとより、その向上を図るように努めなければならない。

 労働条件にもいろいろあるが、両横綱は「賃金」と「労働時間」ということで、どなたも異論ありますまい。「労働市場」という概念について、労働力という分かったようで分かりにくいものが、マーケットで売り買いされるという発想に、なかなか馴染めなかったのだが、今は単純化して考えている。我ら働き手は、自分の労働時間を、単位時間当たりで売りに出している。時給とか月給とか呼ばれる。


 憲法の第27条第2項も、この両横綱の最低基準が最も重要であることを意識しつつ、「賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める」と書いてあるわけだ。では、第3項の「児童は、これを酷使してはならない」はどうか。

 産業革命期のイギリスは、炭鉱で小学生ぐらいの子を、一日十数時間も働かせ続けたらしい。憲法で最も強く「子供を守る」と断言しているのは、この項だ。誰から守るかというと、大人からです。なお、学校制度(文部科学省系)においては、児童というと通常は小学生を意味し、マス・メディアもおおむね、そういう使い方をしている。中学生になると生徒。

 だが、労働法の世界(厚生労働省系)では異なる。労働基準法の第54条にあるとおり、「使用者は、児童が満十五歳に達した日以後の最初の三月三十一日が終了するまで、これを使用してはならない」のだが、これはつまり、大原則として義務教育が優先であるためで、条文は中学生も児童に含めている。なお、「満十八才に満たない者」(だいたい高校生まで)は、「年少者」と呼ばれる。ここでは昔から、18歳成人になっていた。


 さて、最後に第29条の「労働三権」である。公務員はこれを制限されているため、先述のように改正草案では、その旨の追記がなされている。現行は次のとおり。
第二十八条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。
 労働組合の組織率(労働者のうち労組に入っている人の率)は下がる一方で、去年6月時点で17.4%という政府統計が出ている。これには、大企業、春闘組、確か公務員も含まれているので、こういう大手の老舗を除くと、日本経済の強みの一つと言われた企業内組合も、もはやごく少数派と言うほかない。分割統治が上手くなりました。

 ここ東京では、24時間勤務、365日営業は、珍しくも何ともない。シフトで入れ違いに働いていては、ストもサボタージュも無理で、オルグすらできまい。これは使用者側だけの問題ではなくて、発注者や我ら消費者が、ひたすら傲慢でせっかちになっているからでもある。かつてようなの交通ゼネストをやったら、関係ない連中も含め日本中から非難が殺到するだろう。


 私の「積ん読」用の蔵書の一つに「共産党宣言」がある。マルクスエンゲルスが「万国のプロレタリア団結せよ」と呼びかけた檄文だ。しかし、今や万国の労働者は、世界中いたるところで、保守的・排他的になっているのは周知のとおり。参院選も、イギリスのEU離脱も、アメリカの大統領選も、そういう結果だった。いつまでも「積ん読」のままで、ありますように。

 一人一人の労働者は、社会的に微力である(私のように個人事業となると、もう無力と言ってもいい)。かつては、その良し悪しはともかくとして、労働三権を武器に数の力で、「当局」と果たし合いをしていたものだ。今はもう、横の連携は無いに等しい。では、どこの誰を頼みの綱にしているかといえば、選挙とネットを眺めているだけでも、概ね見当が付く。油断なさらないように。


 トランプさんは、さっそくインディアナ州にある労働組合の委員長と大喧嘩を始めている。憲法第28条の権利を得るために、ご先祖や諸先輩が、どれほど苦労したか、また、具体例は出さないが、やりすぎて、どんな問題を起こしたか、労働運動の歴史は長くて複雑と聞く。組織率が2割を切って、日本でも流動化している様子だ。労働問題が見えにくいですね。個別対応せざるを得ない時代になっている。

 それはともあれ、第28条は手放してはならない。労組は二人からでもできる。組合でなくてもいいから、全部一人で抱え込まないようにしてほしい。生存権に関わる。これまでの体験だけで申し上げると、困っているとき一番の助けになってくれるのは、同じような苦労をしたことがある人たちだと思う。







(おわり)





近所の公園にて  
(2016年10月2日撮影)










































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