何回かの記事を費やした重松清著「その日のまえに」の感想文も今回が最後です。この連載は「生老病死」のうち、「老」が最も縁が薄い作品を扱っており、「老いを見つめる」というカテゴリー名から少し離れていますが、老いた私が本を読んでブログを書いているのですから大丈夫。
最後の短編「その日のあとで」の最終の場面において、主人公と二人の息子が、奇縁で結ばれた石川さん主催の花火大会を観に行きます。途中で電車は相模新町駅に停車します。この小説に出てくる駅名は、調べた限りでは凡て架空の名のようです。どうやら神奈川県らしい。
相模新町は主人公と和美が新婚生活を送ったころに使っていた駅です。そして、シュンが石川さんと再会したときに下車した駅は港西ですから、同じ路線の少し先でしょう。いずれも海が見えるところで、シュンが品川で乗車していることからすると京急線がモデルか。
親子は古いアーケードの商店街を抜けて海岸に向かいます。花火大会はもう始まっていました。花火大会にもいろいろあって、隅田川の花火はお江戸の昔からの娯楽ですが、我が故郷静岡の安倍川の花火大会は戦没者慰霊です。
石川さんの企画は後者に近く、「お盆」の「迎え火」であると主人公へのFAXに明記されています。小さな商店街ですから予算もなく、人影まばらで屋台も出ていません。花火も大輪にあらず、主人公の感想によれば「華やかさとは無縁の、むしろ寂しさを噛みしめるための花火」。
会場に到着した主人公が挨拶に伺うと、石川さんはすでにビールを飲んで顔が赤く、「おかげさまで、いい迎え火が焚けました。シュンもこれで、道に迷わずに帰ってこれますよ。何しろ初盆ですからね、初めてですからね、これくらいやってやらないと」と笑っています。
シュンの奥さんも、写真立てを時々ながめながら微笑んでいるのが見えます。主人公も石川さんの問いに応じて、「初盆なんです、僕のところも」と笑って応じることができました。いずれも仏教で四十九日の法要を済ませています。
二人の故人はお盆の帰省の「初心者」であるわけですが、これで迷わず戻れるのですから、何よりの供養です。幾つものポスターが並んで貼ってあります。主人公の作品で、大輪の花火と浴衣姿の女性の横顔を切り絵風に描いたもの。モデルは和美。
寂しい花火大会なのですが、上記のように「笑い」が何度か出てきます。本書のあとがきにも著者は「ひとはなぜ、遺影に笑顔を選ぶのか」と書いています。
もう処分してしまったようで見当たらないのですが、アラン「幸福論」という文庫本を持っておりました。ネット情報によれば、人は幸せだから笑うのではなく、笑うことにより幸せになるという趣旨のことが書かれているようです。笑う門には福来るとも申します。
昔から私は自分が経験したことのない規模の悲惨な災害のときなどに、テレビの取材に応じる被災者が笑顔で語るのを不思議に思っていました。外国のニュースでは、見受けられないように思います。
きっと災害多発国の日本では独自の文化風習が生まれたのだろうと思います。これも被災者が語っていました。「無理してでも笑顔を作らないと話もできない」。それなら私も日常生活のレベルで、身に覚えがあります。それに近年、老化現象に苦しみだしてから、私は人のいないところで声を出して笑っています。

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