おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

勤労感謝  (第1290回)

 義務教育のことは、小学生のころから知っていたと思う。一方で、勤労の義務と権利については、いつ知ったか記憶がなく、それにしても「変なの」と感じた覚えがある。働くのは当たり前であり、権利だ義務だと憲法に書いてあるのが不思議だった。小さいころから家族に、「働かざるもの食うべからず」と叱られて育った身の上である。しかし、この「当たり前」というのが、平和ボケの本質だ。

 ここで子供が「働く」という言葉は、もちろん勉強とか家事手伝いとか、子供の本分について語られているものだ。だから、「働かざるもの食うべからず」は、働きたくても働けない人に対して残酷だとか、社会主義のスローガンだから騙されるなとか、生活保護の攻撃に使ったりとかいうふうに濫用してはいけない。


 田舎の子育ては兎も角、では憲法には何と書いてあって、何が言いたいのだろう。第28条は珍しく三つも項がある。その次の第29条も勤労と関係することなので、これは多い。改正草案は、字句の改訂を除くと、第28条に内容的な変更はない。

  【現行憲法

第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
二 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
三 児童は、これを酷使してはならない。

  【改正草案】

(勤労の権利及び義務等)
第二十七条 全て国民は、勤労の権利を有し、義務を負う。
二 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律で定める。
三 何人も、児童を酷使してはならない。


 さて、「勤労」とは昨今あまり聞かない言葉である。私が就職したころは、財形貯蓄が盛んで、これを定めた法律を「勤労者財産形成促進法」というのだが、無名である。ほかに法律で勤労という言葉が出てくるものは、一つしか思い出せません。勤労感謝の日を定めた「国民の祝日に関する法律」である。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO178.html

 これも第1条の主語が「日本国民」になっている。どうも統一感に欠ける。第2条で目を引くのが「こどもの日」の文末、「母に感謝する」だろう。最初にこれを見たときは、すでに親になっていたので「父親の立場は?」と思ったものだ。たぶん逆で、まだ男尊女卑の伝統を引きずっていたころだろうから(憲法の翌々年制定)、この日くらいは母に感謝せよという意味ではないか。これでいいのか。

 もう一つ、第3条の「祝日」と「休日」の違いが判然としない。だが、カレンダーの運用を見る限り、ここでの「休日」とは、すなわち「議員や事務職の公務員の休日」という意味で、だから役所も学校も休みだから来ても無駄ですと読み直せば違いがはっきりする。休日は振替の結果であって、祝日はあくまで日付のとおり。


 さて、今回は時期を逸した我が「勤労感謝の日」は、「十一月二十三日 勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」べき日である。11月23日は、ハッピー・マンデーでも移動しない固定日の祝日である。新嘗祭の伝統を頑なに守っている。年配者にとっては勤労という言葉の響きが、軍国主義国家神道の戦前・戦時中を思い出させるらしく、あまりこの言葉が好きではないという人もいる。

 他方で、新嘗祭勤労感謝の日に変わったのはGHQの押し付けであり、元に戻すべしという主張を相変わらず聞くが、憲法第20条の政教分離を忘れていまいか。新嘗祭そのものは、今も宮中行事なのだから、関係者でお祝いする分には誰も文句は言わないのに。


 それに、仮に「紅葉の日」なんて名前に変えるというのなら私も異論があるが、勤労感謝とは、とりもなおさず、ほんの百年前ぐらい前まで我が国の基幹産業が農業だった時代の豊作の祭りであり、この一年よう働いたとお互いに労う日だ。うちの近所にある鎮守の神様の収穫祭と新嘗祭は、中身も季節も本質的に変わりはない。

 ネットには、いろんな意見があります。毎年SNSなどで見るのは、勤労感謝の日なのに、働かないといけないという嘆き節。でも近代まで祝日なんて無かったですし、それにこの法律ができて以降も、運送業やお巡りさんは、元旦だろうが働いている。選んだ仕事だ、休みじゃなくても祝おう。

 

 また、勤労感謝とは(さっきの「こどもの日」の発想と反対側で)、男が働いているのが常識だった時代の骨董品だから、差別なので止めるべしという主張も見る。たぶん法律制定当時は、ご指摘のような「釣り合い」で半年に一度、母と父に感謝するような気配りだったかもしれない。

 しかし今や働きに出ている女性は多いし、遠い昔から男女兼業の農家や猟師や商店の夫婦に対して非礼であろう。今や勤労の世界に、男女差を持ち込んではいけないし、まだ残っている格差は解決を要するが、祝日に腹を立てても始まらない。もっとも、祝日だからこそイデオローグは盛り上がるのだろうな。私は静かに休む。

 
 権利と義務の検討の前に、もう一つ、この条項で整理しておきたいことがある。勤労と労働は違うのか。当方の結論から言うと、似たようなものでしょう。まず、第2項に「賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める」とあるが、これはどうみても、この前年に成立した「労働基準法」のことだ。なお、「最低賃金法」は、労働基準法の第28条により、両法が相互に関連している。

 労働法における労働者の定義は、法律によって微妙に違い、例えば失業者は労働基準法の労働者には入らないが、労働組合法では労働者である(労組が不当解雇で闘うため)。ただし、おおむね使用者の命令により働き、賃金の支払いを受ける人というような概念だ。産業革命以来の貨幣経済下における生業を前提としている。


 憲法の「勤労」が、労働法の労働に引っ張られて狭くなってしまうのは困る。世の中の仕事は、賃金労働だけではない。衣食住の手当の方法には、自給自足もあれば、物々交換もあるし、そもそも金に換算できるような価値以外のものを生み出す仕事もある。それらも入れて、ここでの勤労は考えるべきだろう。

 そうしないと、主婦・主夫業も、ボランティア等の社会活動も、はじき出されてしまう。これは本質的におかしい。主婦やボランティアも立派な天職であり、往々にして彼らの働き失くしては、銭稼ぎの仕事も支えきれないのが、家庭なり共同体なりの仕組である。おじいさんは山で芝刈り、おばあさんは川で洗濯というのが、勤労でなくて何であろうか。ということで、勤労の権利と義務は、これを前提に考えます。






(おわり)





サンタ・クロースもボランティアでしょう。


















































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