おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

太平洋  (第1083回)

 しばらくの間、すっかり「20世紀少年」から離れて、昨年12月27日の日米両首脳ステートメントの話題を続けてきた。それも今回で一段落です。本日、アメリカの大統領が交代しました。世界はどうなるのか。

 ずっと前に、ロサンゼルスで高齢の日系人男性お二人から、第二次大戦時の収容所生活の体験を伺った概要をここに書いた。明治から今日に至るまで、大変おおぜいの日本人が世界中に移住している。特に太平洋を渡った人やその子孫が、おそらく最も多かろう。


 理由はさまざまであるらしい。大学では日本経済史を専攻した。明治から昭和にかけての軍国主義の時代には、徴税があまりに苛酷で、外国に生活の拠点を移さざるを得なくなった人たちも少なくないと聞いた。

 海の向うで一儲けという元気な人もいたろうし、戦下の事情でやむなく渡航した人もいただろう。財閥は大々的に海外での労働者募集をしている。その記録の写真を最近、見た。そしてハワイにも日系人が大勢いる。


 本日正午をもって大統領としての最終日を迎えたオバマさんは、私の一つ年下である。当初、世間は黒人初ということで盛り上がったが、私は自分より若い人がアメリカの大統領になったのに心底、驚いた。

 今の彼は私より老けて見える。白髪も増えたし、顔色も良くない。休んで元気になって、また活躍していただきたい。彼は潔癖な大統領だった(マイケル・ムーアには厳しく糾弾されているが)。後任は今のところ、その正反対の風情である。


 真珠湾の講演において、オバマ元大統領は、二人の日系人の名を挙げている。一人は故人で、「the Japanese-American Nisei. In that 442nd served my friend and proud Hawaiian, Daniel Inouye」。

 彼と同じくハワイ出身のダニエル・イノウエ氏。第442歩兵連隊に属し、イタリア戦線でドイツ軍の手榴弾により片腕を失った。その後、上院議長などの要職に就かれたお方である。


 イノウエ先輩の葬儀の式場において、オバマさんは自分が政治家になった理由の一つに、子供のころ、当時のイノウエ上院議員から受けた印象を挙げている。11歳のとき、家族旅行中にTVで観たそうだ。

 同じものを、もしかしたら私も見たかもしれない。「大統領の陰謀」、ウォーターゲート事件はとうとう米国会の両院で取り上げられるに至り、日本でも大騒ぎになりました。小僧の私も、よくテレビで観ていた。


 残念ながら覚えがないが、イノウエ議員は、ここで大活躍をしたらしい。オバマ氏いわく、右腕が無くて、バリトンの好い声の持ち主だった由。

 上記の礼拝堂での弔辞によると、最期の言葉は「アロハ」だったそうで、これはハワイに生まれて幸せな人生を送った人なら誰でもわかるそうだが、「I love you.」という意味だと同郷の大統領は語っていた。


 もう一人の日系人(正確には日米混血)は、式典当日パール・ハーバーの会場にいた現役の海軍大将、「U.S. Pacific Command」(アメリカ太平洋軍)の「Admiral Harry Harris」。

 ハリー・ハリス司令官は、父が米国人、母が日本人。横須賀の生まれで、テネシーとフロリダの育ち。南部訛りが強いと紹介されており、聴衆も笑っている。


 このお方は、何年か前に来日されているので、何となく覚えがある。日常の職場は、今回の式場になったオアフ島。単に海軍の地域司令ではない。大雑把に言えば太平洋の陸海空のトップ。

 もしも日米安保条約がその効力を発揮する場合、このアドミラルが現場の最高責任者になるということだ。大切にしなければならん。


 オバマ大統領のステートメントには、何回か「アジア・太平洋」という言葉が出てくる。ここで悲惨な戦争が起きた。これからは、ここで平和を守るのだ。読んで字のごとく。

 この共同宣言にあたり日系人に触れたのも当然の工夫だが、最後に、アメリカはフロリダ州で活躍する別の日本人の名前も出てくる。


 2009年。オバマ新大統領は、アメリカ大リーグのオールスター戦で、始球式の投手を務めた。私はこの映像を観て初めて、彼がサウスポーであることに気付いた。

 MLBの始球式はどうやら日本のそれと異なり、バッター・ボックスに打者は立たないらしい。おかげで大統領の暴投は、デッド・ボールにならずに済んだ。

 
 仮に日本流でいけば、左側のバッター・ボックスに立ったのは、先攻アメリカン・リーグのトップ・バッター、シアトル・マリナーズ所属、ファン投票により外野手の二位で選ばれたイチロー・スズキである。

 イチローはこのあと、先頭打者でライト前にヒットを放った。大統領にも挨拶したそうだ。今はフロリダで頑張っている。もう8年が経った。






(おわり)








テニアン島より太平洋を望む。短期間の戦闘で、官民・国籍を問わず一万人以上が犠牲になった。合掌。
(2017年1月12日撮影)















 もう一度 賭けてみよう
 いろんなことが あったけれど

    「哀しみのオーシャン」 葛城ユキ












































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