おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

誰もがするようなこと  (第1081回)

 変なタイトルですが、単なる思わせぶりです。ここでアメリカ側の話題を中心的に出しているのは、真珠湾の攻撃についての我が国の資料が、当たり前かもしれないけれど、殆ど日本側の詳細を語るものばかりだからだ。

 これはお互い様のようなもので、いま滞在中のテニアンの戦闘記録も、成功した側の米軍の記録のほうが詳しい感じがする。一方の誇らしさと、他方の余裕のなさが対照的。死者は詳しい記録も残せない。


 もっとも、パール・ハーバーでは、米国側が撮影したらしき写真も少なくない。ほとんどが水平方向から写したものだが、珍しく開戦直後の空中から撮ったものもあって(もしかしたら日本側の写真かもしれない)、うち一つをいま見ている。

 中央に湾内の軍艦島フォード島がある。アリゾナも接岸している。その中央で白煙が上がっており、説明によれば戦艦ウェスト・ヴァージニアに魚雷が命中した瞬間らしい。日本側の爆撃機らしき機体が写っている。


 これも先日の大統領の演説に出てくる海軍兵ジム・ダウニングは、当時このウェスト・バージニア乗組の一等掌砲兵曹だったという紹介がある。軍人の階級や職掌には詳しくないが、大砲の係か。

 ジム・ダウニング氏は、私が知る限り2016年の春の段階でご存命であり、そのとき103歳。パール・ハーバー・サバイバーの最長老の一人で、多くの談話を残している。


 本人によると、ジムは貧しい家の出で暮らしが辛く、よく聞く話だが、その生まれ故郷を離れる唯一の方法と思われた手を使い、軍隊に入ることにした。惨めな生活はなかなか終わらなかったそうだ。

 ところが、同じような境遇なのに、いつも明るい青年がいて不思議に思った。こんな毎日のどこが良いのかと訊いてみたらしい。相手は聖書を見せ、これで生きている、いや、これを生きているというような趣旨のことを言ったそうだ。


 早速かどうかは知らないが、ジムはキリスト者になった。同じクリスチャンの女性と結婚した。そして何ヶ月も経たぬうちに、海の向こうから職場に日本軍がやってきた。

 日曜日の朝、彼は自宅にいたらしい。現場に駆けつけたのだが、うちを出る前の彼に妻が、聖書の一部が書かれている紙か何かを手渡したとのことである。


 その言葉は、オバマさんのスピーチには英文で、また、日本大使館の仮訳では出典付きで「いにしえの神は難を避ける場所、とこしえの御腕がそれを支える」(申命記33章27節)と出てくる。

 神と妻という無敵のご加護を得て、ダウニング兵曹は生きて戦場から戻った。その後は、キリスト教の伝道のようなお仕事に就いたらしい。なるほど、説得力のある体験者だ。


 申命記旧約聖書の本で、申し命じているのは、モーセであるというのが通説であり、彼本人が書いたものだという意見もあるらしい。ともあれ、確かに文面はモーセが申した内容ということになっている。

 旧約の神は人に厳しく、詳細は申し上げないが、神と信者に逆らう者に対しては、一段と気性が激しくあられる。申命記の該当箇所も、上記の文言だけではないのだ。


 当家の聖書(日本聖書協会)によると、大統領の引用に続く同じ27節の後半は、こうなっている。「敵をあなたの前から追い払って、『滅ぼせ』と言われた。」

 これは過去形のお言葉であるが、英語をみると違う。これからも、そうするに違いないというのが本来の意味である。その日そのとき、夫婦が置かれた状況において、その意味するところ歴然としている。と思う。


 夫婦ともども敬虔なクリスチャンであれば、この続きは知っていておかしくない。神様のお守りだけなら、似た文言はほかにも幾らでもある。

 オバマ大統領も、式典の場にいた多くの米国人も、仮に知らなければバイブルを読むだろう。当のジム・ダウニングは白寿を過ぎても、リメンバー・パール・ハーバーと言い続けた。

 だが、文脈からして、70年以上前の恨み辛みを思い出しては、愚痴っているようではない。前後はこんな感じ。弱きものが侵略の沙汰を招く。真珠湾を忘れるな。アメリカは、ひたすら強くあれ。



 ジム・ダウニングが誰かに対して語ったような感じの言葉を、大統領が最後に引用している。真珠湾の日、次々と斃れていく戦友の名を、彼は纏めて記録していったらしい。

 英語では「It was just something you do.」となっている。「やるべきことをやっただけだ」というフィリップ・マーロウのセリフのような和訳が多いようだが、気障すぎないかな。でも難しいな。


 端的に行ってしまえば、遺族に戦友の死に方を告げるための手配だ。それがないと遺族は、今月の私と長男が、テニアン島内の戦跡を可能な限り慰霊して回ったのと同じようなことになる。

 彼も戦死したら、奥様に伝えてもらわなくてはならない。きっと戦いながらでも、その心構えを失わずにいるのが軍人というものなのだろう。それを使命と受け止めれば、生き残った兵士も救われる。


 これは戦争に限った話ではないです。裁判でも災害でも、親しい人の最期がわからない遺族の悲しさや苦しみは終わらない。そうならないように、誰もがするようなことをダウニングはやったと語る。

 おまえも必ずやれよと言っているようにも聞こえる。私はいま遠い南の島にて、かつて誰もがするようなことを、怠った国のことを考えている。


 ダウニングさんは、たぶん101歳のとき、2015年の一般教書演説に招かれた際に、ワシントンDCで、オバマ大統領に会っているのではないかと思う。自分はヒーローになるつもりはなかったのだとジム本人は言っているのだが、その意に反して彼は英雄になった。

 これまで、どれだけのアメリカ人が真珠湾には拘っても、ハワイに昔から住んでいた人たちの身になって考えたことがあっただろうか。日本人にはそれを責める資格がない。そう感じざるを得ないテニアンにて。







(おわり)






 


静岡の教会(上)と新年の初霜(下)
(2017年1月1日撮影)









 God is a concept by which we measure our pain.

    ”God”  John Lennon