おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ハワイの波、静か  (第1077回)

 謹賀新年。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。今月(2017年1月)、ようやく伯父の戦没地テニアン島に慰霊の旅行に出かける準備も整いつつあり、そのために戦争関係の本を読みながら年末年始を過ごした。同種の報道も気になる。

 そのうち一つの感想文を書きます。「20世紀少年」とは直接関係ないです。また、右なり左なりの熱い政治主張はしませんので、そういうのが好きなお方は、この先お読みになっても時間の無駄になると思います。題材は先月下旬の真珠湾における日・米両首脳による式典。


 個人的には、かなしい記憶がよみがえってしまった、えひめ丸の事故の慰霊が印象的だったが、世間の耳目を集めたのは、やはり最後の真珠湾におけるお二人のステートメントだろうな。ハワイ時間で12月27日の正午開始。

 アメリカはクリスマス・シーズンで、日本は御用納めの直前。ずいぶんと忙しい時期を選んだものだ。間もなく大統領が交代するので、今のうちにやるべき事情があるのだろう。休暇返上になった皆さま、お疲れ様でございました。


 ハワイとくれば、かつて有名人が暮れ正月を過ごすべき場として有名であった。今はどうなのだろう。ハワイ生まれの日系人に聞いたところでは、ハワイも北半球なのでこの時期は気温水温が低く、地元の人は誰も泳がないと言っていた。

 私はハワイに滞在したことがない。もっとも、中米への出張の途上、航空便の乗り継ぎの都合で、半日あまりホノルル国際空港近くのホテルでデイ・ユーズを使い、一休みした記憶がある。たしか昼寝して、プールで浮かんでいた。


 地図を見ると、この空港はオアフ島の南側の海辺にあり、東隣にホノルルの市街やワイキキ・ビーチが並び、そして西側にあの独特の形状の真珠湾がある。地形が似ているということで、真珠湾攻撃の前には鹿児島湾で実戦的な訓練が行われたらしい。

 ハワイと聞くと、初めての外国人のお相撲さんということもあって人気が高かった高見山が、館内放送で「ハワイ、マウイ島出身、高砂部屋」と呼び出しを受けていたのが懐かしい。その後に活躍したハワイ勢のお相撲さんたちも、ハワイ原住のポリネシア人


 土人という言葉自体が差別用語なら、ネイティブも使用禁止だな。かつて、ツバルの外務次官と食事をしたとき、同国のポリネシアンにもモンゴリアン・ブルー(蒙古斑)が出ると聞いて驚いた話は、もう書いたか。

 ハワイやツバルのほか、サモアイースター、トンガなど太平洋に点在する島々を住まいとなす。アジア系にしては顔の彫りが深い。拙宅の近所にある滝野川部屋で横綱になった武蔵丸も、やせればモアイ像に似てきそうだ。


 太平の海の真ん中あたりにあるハワイも、西洋人の進出で混乱が始まり、政権交代やら王国の滅亡やらを経て、アメリカ合衆国が分捕った。だから、アメリカ人に「リメンバー・パール・ハーバー」などと人を責める資格はない。どうしても言いたければ、鏡の自分に向かっておっしゃいな。

 せっかくの友好ムードに水を差すのは良くないです。ハワイといえばフラダンスにウクレレ。漫画「20世紀少年」にも出て参りました。代表曲は「アロハオエ」。私が子供の頃は、最後の女王様が、さらばハワイよと歌う別れの曲であった。


 昔ドキュメンタリーか何かで、古いフラダンスの記録映像を見た覚えがある。伝統的には、この歌と同様、曲も踊りもスローなテンポの音楽だった。それが観光化の波におされ、アップ・テンポで腰を振るダンスに変わった由。

 かくのごとき腰の振り方の意味するところは、エルビス・プレスリーが、というより彼を非難した連中が誰より詳しく知っているはずだ。そのエルビスは、歌詞のアロハ・オエの「Oe」(あなたを意味するらしい)を「オーエ」と歌い、ジョニー・キャッシュは「オウ」と発音している。


 先述の式典において、後半のスピーチを受け持ったオバマ大統領は、冒頭の挨拶を区切るにあたり、「アロハ」と仰った。この呼びかけは、こんにちはでもあり、さようならでもあるらしく、どうやら現地の暮らしは、途切れ途切れに流れているのではないらしい。聴衆も「アロハ」と返している。

 今は昔の2008年。前々回の大統領選で、敵対政党の共和党は、オバマ候補がかつてインドネシアに住んだことがあり、ミドル・ネームがフセインということもあって、アメリカ国籍ではないとか、キリスト教徒ではないなどというネガティブ・キャンペーンを張って、結局、恥をかいた。


 米国には日本の戸籍制度のようなものがなく、出自の証明が必要な時には出生証明を使う。あのときもオバマさんは生まれた病院が発行した証明書を提出し、調査の結果、本物だと認定されて一件落着した。

 あのとき、私たちはオバマ氏がハワイの州都ホノルルの生まれであることを知った。十代のころもホノルルで過ごしている。パール・ハーバーは、彼の故郷の海だ。だから、地元にも配慮して「アロハ」と挨拶したのだろう。我が総理の演説は、これに触れていない。


 お二人のスピーチは、日本でも全文が新聞等で紹介されたし、ホワイトハウスのサイトにも、現時点では「速報」の扱いで、かつ総理の日本語は当日の同時通訳の英語となって、掲載されている。

 次回は、その中から印象に残った箇所を、話題に拾います。お正月早々なので、戦闘の話はできるだけ婉曲に書きましょう。改めまして、今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。






(おわり)




 
 Until we meet again.  ”Aloha Oe”  Elvis Presley

 Farewell to thee.   ”Aloha Oe”  Johnny" Cash






実家のそばから初日の出を迎える富士山
(2017年元旦撮影)