おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

いちご畑 (20世紀少年 第663回)

 今回と次回は大脱線。なぜかビートルズのことを無性に書きたくなった。このバンドに興味のないかたは、今日と明日は跳ばしてください。ロック・バンドでも小説家でも、別に人ではなくで作品でも何でも構わないのだが、私は自分が誰それの、あるいは何かのファンかどうかを自分自身で判断する基準として、「自分の〇〇」を語れるかどうかということを考えてみる。例えば「私の富士山」とか、「私の北斎」とか、「私の20世紀少年」とか。

 ロックでいえば、私は「私のローリング・ストーンズ」を語れない。ずいぶんストーンズは聴いてきたし、好きな曲が何十もあるし、ビートルズよりずっとかっこいいと思っているが、「他のファンがどう思っていようと俺にとってのストーンズはこうだ」と情熱をもって語ることができない。ロックで「私の」と語れるのはビートルズだけ。ケンヂが言うところの成分表示である。

 
 松田聖子に「いちご畑でつかまえて」という曲がある。「白いパラソル」や「赤いスイートピー」と同時代の歌で、私の大学生活の後半にあたり、彼女がまだまだ本当に可愛くて、声が一番よく出ていた時期だと思う。この曲名はもちろん何回か前に引用したサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」と、おそらくビートルズの「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」をかけている。

 ビートルズはアルバムを出すたびに大きく変化した。その変わり方の度合いが一番大きかったのは6枚目のLP「ラバー・ソウル」から7枚目の「リボルバー」への変化だ。歌詞もサウンドもメンバーの容貌もすっかり変わっている。いずれも1966年の作品で(私は小学校でピカピカの1年生だった)、この年は彼らが公演を中止した年でもあるから大きな内面の変化があったはずだ。


 そのファンファーレとも呼ぶべき曲は「リボルバー」の最後に収録されている「トゥモロウ・ネバー・ノウズ」と、同じ時期に録音されたシングルB面の「レイン」である。ジョン・レノンは別人になった。この2曲や翌年の「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」、「アイ・アム・ザ・ウォルラス」に至るジョンのパワフルな作品群には一つの共通点がある。

 それはリンゴ・スターのドラムスが冴えに冴えていることだ。もう30年も前に読んだ本に書いてあったことなので、一字一句正確ではないかもしれないが、ストロベリー・フィールズが発表されたとき、英国の或る音楽評論家がこう書いたらしい。「この曲でドラムを演奏しているのはリンゴではない。彼がこんなに上手く叩けるはずがない」。


 ジョン・レノンのリーダーシープを後年、ポール・マッカトニーが奪って二人の仲が悪くなって解散に至ったという見方をする人が少なくないようで、そういう点もあるのかもしれないが、要するにそれは一番威張っている人が交代したという程度の意味しか私にはない。

 いろんな意味でジョンはリーダーであったが、特に、一緒に演奏する者の能力を最大限に引きずり出すという天賦の才を彼は持っていて、それはおそらく分野を問わずリーダーに求められる資質として最大級に重要なものであり、ポールにそれがほとんどなかったことは、解散後の二人の活動ぶりや作品を聴き比べてみれば分かる。


 時系列でビートルズの音楽を聴いていると、ジョン・レノンのボーカリストとしての能力はサージェント・ペパーズのころから明らかに衰え始めており、声量が落ち、声の張りも失われていく。66年ごろから彼がどっぷりと不法薬物に浸かっていたのは周知の事実であり、おそらくその影響で実年齢よりも早く彼の喉は衰えた。

 それでもローリング・ストーンズ誌までが、「ジョン・レノンボブ・ディランは別格」というほどの位置を彼が占めているのは、それまで恋とダンスの音楽だったロックを彼が、あらゆるものを歌の対象にしていいのだと世界中の若者に知らしめたという点に尽きる。愛と平和なんて二の次、三の次である。ディランの影響も大きいはずだ。やっぱり順番は「ボブ・レノン」で良い。



(つづく)




上野のモクレン  (2013年3月12日)



 Living is easy with eyes closed.
 Misunderstanding all you see.

              ”Strawberry Fields Forever”









































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