おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ブルース・ハープ  (第1011回)

 一般にハープと言えば、ギリシャ神話やビルマの竪琴に出てくる見目麗しき弦楽器のことだ。どんな音かと問われれば、真っ先に思い浮かぶのはビゼー作曲「アルルの女」のメヌエット。近年では「千と千尋の神隠し」で木村弓さんが歌いながら奏でていた「いつも何度でも」。これがなぜかブルースに登場すると、ハーモニカの呼び名になる。

 ブルースというのは、子供のころ淡谷のり子青江三奈が歌う曲名についていて、親にブルースとは何かと訊いたが、例によって親は肝心なことを知らず、誤魔化されて現在に至る。英語の発音ではブルーズと最後は濁るのだが、これもまた、いい加減なまま現在に至る。


 ジョン・レノンのハーモニカは、どうもブルース・ハープ的ではない。拓郎も同様で、イントロの景気づけによく使われる。ジョンはビートルズのデビュー曲「ラブ・ミー・ドゥ―」ほか、最初のころよく使っていたが、途中からスタジオの音響で遊ぶのが好きになり、最後に吹いたのは「フール・オン・ザ・ヒル」あたりか?

 ローリング・ストーンズのデビュー曲でも使われている。「Come On」というチャック・ベリーのカバーで、ハーモニカを担当しているのは、27歳で亡くなったリーダーのブライアン・ジョーンズ。この人は器用なプレイヤーで、例えば先日話題にしたサックスなら、スタジオ・ミュージシャンとしてビートルズの最後のシングルB面「ユー・ノウ・マイ・ネーム」で吹いている。


 もう一つ、「黒くぬれ」(Paint It Black)で、ミック・ジャガーのリード・ボーカルとほぼリエゾンで鳴っている金属音は、ブライアン・ジョーンズが弾いているインドのシタールだ。なお、私が先年観たストーンズのコンサートでは、ときどきミック・ジャガーがハーモニカを吹いていたのを覚えている。

 私は白人のロックから入ったので、ブルース・ハーピストと言われて先ず思い出すのは、ポール・バターフィールド。彼のアルバムを二枚持っている。ウッドストック・フェスティバルにも出ていた。映画では出演場面がカットされたが、手元にあるDVDのディレクターズ・カットに追加で収録されている。


 ポール・バターフィールドらの音楽は、サブ・ジャンル名なら、ブルース・ロックと言われた。浦沢直樹氏のデビュー・アルバム「半世紀の男」に入っている「ボブ・レノン」も、イントロのギターの華やかな響きといい、間奏にやっぱりハーモニカが流れることといい、ブルース・ロック的である。半世紀前には、そう呼んだのです。

 では、ボブ・ディランのハーモニカはどうだろう。ずっと前に書いたが、中学生になったばかりの1973年、同級のS君が何故か私の席の前に立ち、マンハクって何だとか訊かずして、いきなり「学生街の喫茶店」を歌い出した。彼の家に遊びに行ったときも、さんざんシングル・レコードを聴かされた。


 この歌も、歌詞に出てくるボブ・ディランの名も、その前からテレビで知っていたのを、はっきり覚えている。楽器が苦手な私としては、ハーモニカとギターを一人で弾き、しかも歌うとなると曲芸と呼ぶにふさわしい業であった。

 中学生になってビートルズのレコードを買い始めたころ、何かの解説文に「ハーモニカとギターの組み合わせは、ボブ・ディランもそうだが、すでに遥か有名になっていたジョン・レノンが演じていたのだから、その影響は計り知れない」という意味のことが書かれていて、子供心にも幾ら何でもこれは強引ではないかと思った。


 デビューする前から、ボブ・ディランはハーモニカを使っている。そもそもプロになろうと頑張り始めたころ、何を演れるのかと訊かれて、歌とギターとハーモニカだと答えている。それが1961年ごろの話で、一方、ビートルズアメリカで知られるようになったのは、イギリスに遅れて1964年の「抱きしめたい」のヒット以降のことである。だから、ヒット・チャートが彼らの曲で煮詰まったのだ。

 彼の自伝を読んで初めて、あの首にひっかけて、ギターを抱えながら指を使わずハーモニカを吹く道具を「ラック」と呼ぶのだと知った。ボブ・ディランは苦労してこれを手に入れたときのことを回顧しつつ、中西部でただ一つのハーモニカラックだっただろうと控え目に語っている。それまでは、ハンガーをひん曲げて作っていたらしい。やはり必要は発明の母なり。


 ボブ・ディランのハーモニカ演奏は、ジョン・レノンとはずいぶん異なる。やや乱暴な言い方をすると、ちょっと慌ただしいなと前から思っていたのです。この感想は私だけではなかったようで、本人も自伝で貴重なエピソードを書き残している。彼のハーモニカについて、誰かが「何か言うのを聞いたのは、ただ一度」という出来事だった。そのまま引用する。

 「数年後ニューヨークシティはローワーブロードウェイのジョン・リー・フッカーのホテルの部屋でのことだった。そこに来ていたサニー・ボーイ・ウィリアムソンがわたしのハーモニカを聞いて『ぼうや、あんたは速く吹きすぎる』と言った。」


 この「数年後」とはデビューしてからのことだが、年譜によるとサニー・ボーイ・ウィリアムソンは、1965年に亡くなっているから、その前だ。「ぼうや」はその翌年に発表した”4th Time Around”のイントロや間奏では、心なしかゆっくり吹いているような。

 大御所サニーさんはブルース・ハープを、大きな両手で包み込むように演奏する。彼一人、ハーモニカ一つで、ブルースの曲ができあがる。おそらく、愛用品は10ホールズと呼ばれるブルース・ハープによく使われる四角い穴が10個あいているごくシンプルな楽器だ。掌で包み込んでも音の邪魔にならないのは、ブルース・ハープが吹く楽器というより、吸う楽器であるかららしい。


 エンケンさんも吹く。彼のオフィシャルサイトは「遠藤賢司秘宝館」という艶やかな名が付いている。秘宝館といえば、国際秘宝館だ。我が出身地の静岡にも、熱海の国際秘宝館が公然と建っているが、まだ残念ながら人生未踏の地である。子供のころテレビのコマーシャルで聴いていた「その名も国際秘宝館 ♪」という、コブシの効いた歌が耳について離れない。20世紀少年の成育歴。

 上記のゴージャスなネット・サイト秘宝館において、現時点ではトップ・ページに動画があって、テン・ホールズのハーモニカが写る。最後に唐突ですが、去る4月21日に、ボブ・ディランの来日コンサートに行ってきた。少しずつ話題にしたくて、しばらく当夜に受けた印象や感想を温めているのです。ボブ・ディランはギターを弾かなかったが、二曲目にハーモニカを演奏してくれたのは嬉しかった。





(この稿おわり)





渋谷の会場前にて
(2016年4月21日撮影)





拙宅のてっせん満開
(2016年4月30日撮影)







 その名は宇宙防衛軍 ♪  −  遠藤賢司 「宇宙防衛軍」











































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