おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

先立つ  (第1303回)

青少年時代になじんだ日本語が、どんどん消えたり変形したりしています。古今東西、言葉とはそういうものでしょう。私も大人から、言葉遣いが変だと何度も叱責されました。それでも、当時は大人から(家族親戚だけではなく、読書や映画などからも)、長く使われてきたことばを覚え、何とか上の世代と話ができたものです。

今の時代は違うように思います。聞くところ今どきの若者はアナログの媒体から離れ、新聞や本を読まないどころか、テレビも漫画も見ないらしい。この流れは止めようもないです。彼らの情報源における言葉遣いは、たまにSNSで流れてきますが、理解できないものもあるし、そもそもお互い会話・交信がストレスになりそうです。これもいずれは、ITやらAIやらが別世界同士の「通訳」をするときがくるのでしょうか。


最近聞かなくなった言葉の一つに、「先立つ」があります。かつての用法を二つ挙げます。まだ戦争の時代を経験した人たちが現役だったころ、ときどき「先立つ不孝をお許しください」という一説を見聞きしたものです。もう一つ、これは私も使っていましたが、予算不足や手持ちの金が足りないとき、「先立つものがない」と申しました。いずれも今や死語だと思います。私に先立ち消えました。

断続的に重松清著「その日のまえに」を読んでいます。ありていに言えば、「まだ若いのに」亡くなってゆく人たちと、見送る人たちの物語です。短編「その日」には主人公の妻、和美の両親が登場します。まず、その日が来て主治医から今日のうちだと聞かされて、主人公は和美の実家に電話をかけます。


 リビングで和美の両親に電話をかけた。思っていたよりも冷静に話を聞いてくれた。
 八十近い和美の父親は、苦しませないでやってくれと、凛とした声で僕に言った。たとえ自分たちが病室に駆け付ける前でも、和美が苦しんでいるようなら、無理に待つことはせず、延命装置をはずしてやってほしい ――― 遠いふるさとに暮らす年老いた両親も、ゆっくりと時間をかけて、その日の準備をしていたのかもしれない。

両親は電話連絡を受けて、遠いふるさとから朝いちばんの飛行機に乗って病院に駆けつけてきました。和美はすでに臨終を迎えつつあり、主人公も高原先生に無理はさせないでくださいと頼んだとき、この義父母が病室に入ってきました。いきなり話の腰を折りますが、かつて私らが義父母と呼んでいた人たちは、やがて義両親になり、今や人間扱いとは思えない義実家になっています。


義母はベッドに縋り付いて泣き、義父は自分に気を使っているように主人公には思えるしぐさで、少し離れたまま無言で娘を見つめています。申し訳なく思い、主人公は義父に席を譲り、孫たちの後ろに回って主人公に「雨になったのう」と言葉をかけます。和美は「その日」が晴れるのを期待していたのを父も知っていた様子です。これを聞いて主人公は、最後まで神様は意地悪だったと思います。

父親は目に涙を浮かべて、「じょうぶな子に生んでやれんですまんかった」と主人公に、そしてきっと孫にも聞こえるように語りかけます。主人公は「神さまよりも人間のほうが、ずっと優しい」と思いました。今回は感想文というより、あらすじの紹介みたいですが、下手に感想を書かないほうがよいと感じるときもあります。


(おわり)


豪雪の八甲田  (2026年1月23日撮影)































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