おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

泣きやまぬ海  (第1079回)

 引き続き、日米首脳ステートメントの感想文という変わった趣向でございます。前回は、わが総理のスピーチに多少の注文を付けたあとで、何となく後味が悪い思いをしたため、今回はできるだけ穏やかに出直します。二人とも避けて通れない話題があって、その取り扱い方に気遣いを感じる。おおぜい亡くなっているのだ。

 真珠湾攻撃の写真やビデオを見ると、必ずと言っていいほど出てくる黒煙に包まれた軍艦。若いころ見に行った巨大隕石孔とグランド・キャニオンがある大地の国の名を冠した戦艦アリゾナの当日の姿。この日この場所で他界した人の約半数が、この船とともに沈み、今も眠っている。


 詳しくないが船が沈むときというのは、ゆっくり沈むときもあれば、急激に沈むこともあるらしい。今日の新聞に火災も原因だったのではと書いてあったタイタニックは、相応の人数が逃げ出す時間があった。戦艦大和は逃げ出す者はいなかったが、段々と傾いていっての最期だったらしい。

 日露戦争時の黄海では、買い入れたばかりの巡洋艦「日進」と「春日」が途中から参戦した。練習中に「春日」は僚艦の「吉野」と衝突し、「吉野」は横腹に大穴が開いて一気に沈没してしまった由。一方の「日進」には対馬沖の海戦で山本五十六が乗り組み、戦後の一時期は南雲忠一も乗った。真珠湾コンビです。


 「アリゾナ」は被弾したときに弾薬庫が大爆発を起こしたそうで、即座に沈んでしまったらしい。後に、燃料が漏れ出し、環境破壊のおそれありということで、引上げの計画が組まれたそうなのだが、海軍が反対した。こういうあたりの軍人の心境というのは、経験者でないと分からないのだろうな。結局、浅瀬まで曳航して上に記念館を載せたのが、安倍総理の演説に出てくる「アリゾナ・メモリアム」。行ってみたい。

 「紅蓮の炎」というのは修飾ではなく、この日は夜が更けても水底のアリゾナが赤く燃え続け、生き延びた人たちは、ただ見つめるしかなかったらしい。日本にも、そういう光景はたくさんあったはずなのだが、あまりに語り継ぐ人も、記録も少ないのではないか。私はトラック諸島で沈んでいる日本軍の船のまわりを素潜りで一周してきた記憶がある。上手く説明できないが、確かに引き上げない方がいいように思う。


 オバマ大統領のスピーチは、当事者国とあって、それらしき話柄も含めてアリゾナのことが何か所かに出て来る。奇襲が始まったとき、アリゾナ艦上では、海軍軍楽隊が演奏準備中であった話。その前に出てくる「永遠に天国の手すりに並ぶ」(manning Heaven’s rails for all eternity)は、アリゾナの犠牲者だけではないが、今なお海底にある人と船とに贈るにふさわしい。

 ここでのレールは手すりのことで、よく軍艦が港湾に出入りするときなどに、水兵さんが等間隔に並んで挨拶に立つ海軍の儀礼で、ニューや映画にもときどき出てくる。。そして、海自も含め世界中の船が、パール・ハーバーでこの記念館とその下の戦艦アリゾナの横を通り過ぎるときも、この儀式は欠かせないらしい。「天国の」と付したのは大統領の心遣いなのだろう。


 もう一か所、花を手向けたり献じたりする「今も涙を流す海」というのは、”waters that still weep”という表現なので、そのままの和訳で勿論かまわない。一方、翻訳には出てこないのだが、外務省のサイトにある当日の録画に収録されている同時通訳の声は、「アリゾナの涙」と言っている。

 日本語の発音からして、英語が母国語のバイリンガルで、おそらく現地採用日系人の男性ではあるまいか。この英語だけで「アリゾナの涙」が出てくるということは、きっと現地をご存じのお方に違いない。先述の環境問題になりかねない事態は、まだ続いているのだそうだ。アリゾナが燃料として抱えていたオイルは、海水より比重が軽く、漏れては水面に浮かんでくるらしい。これでは、やはり引上げは無理だ。


 戦艦アリゾナの装備のうち、使えるものは取り外して、他の軍艦に備え付けたと英語版のウィキペディアにある。日本語版にないのは、この後の物語が悔しいのか。アリゾナの旋回砲塔は、同じく真珠湾で被弾した僚艦のネバダが引き継いだ。

 ネバダも忙しい船で、ノルマンディの上陸作戦に参加し、一休みしたあとで沖縄戦に加わった。ここで、神風特攻隊の直撃を受けているのだが、致命傷ではなかったらしく、戦列から離れていない。私が読んだ範囲では、最後の戦場は硫黄島になっている。


 こうして書いていると、子供のころから映画や漫画や小説や大河で、戦争物が好きだったなと思い起こさずにはいられない。正直なところ私は、きっと少なからずの男たちも、フィクションであれば、あるいは遠い昔の出来事であれば、戦争の話が好きなのだ。どうしようもなく。スポーツやギャンブルや、アプリのゲームでは、代用しきれないものがある。

 今の時代、命がけの全身全霊でやるものは、冬山登山や宇宙旅行ができる人はともかく、わしら一般人の日常生活には無い。それゆえにこそ、無責任な戦争ごっこに、のぼせ上らないよう、つとめて冷静にならなくてはいけないだろう。商売や観念で戦争をしたがっている人たちは、いっぺん重油の海に落ちて、頭を冷やしてきてはいかが。

 両首脳のお話しには、それぞれ別の件なのだが、米軍に損傷を与えて戦死した日本兵に対して払われた敬意についてのエピソードが出てくる。私は何となく覚えていた程度で、ここに詳しく聴けて良かったと思う。それに、お互いのため、相手を上手く立てたと思います。


 今年テニアン島に行くにあたり、戦争関係の本を読んでいる。戸籍や恩給の記録では「テニヤンで戦死」となっている陸軍の伯父が載った輸送船団は、マリアナ諸島にいく途中、潜水艦などに沈められ、到着前に数分の一の人員になってしまった。連隊長も亡くなった。

 しかも、別々の島に分散配置されたらしく、さらに直後から空襲や艦砲射撃が始まり、伯父が所属していたはずの静岡の連隊は、サイパンで全滅したことになっている。アリゾナ記念館には戦死者の名が刻んであるそうだが、我が家の出来事は戦史にも実家にも、今のところ他に何の痕跡もない。この目の黒いうちは、この国で誰にもこういうことを繰り返させない。こちらが何年もちますか。







(おわり)





静岡にて(2016年12月29日撮影)。
私が見た船とは違うが、トラック(現チューク)には、
富士山丸という船が沈んでいるらしい。









 With every mistake,
 We must surely be learning.
 Still my guitar gently weeps.

  ”While My Guitar Gently Weeps” The Beatles
















































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