古い映画を観た。同名の主題歌なら子供のころから知っていた「喜びも悲しみも幾歳月」のDVDを借りた。そのリメイク版はロードショーのとき映画館で観ているのだが、肝心の本作はまだだったのだ。昭和三十二年、1957年の作品。初代ゴジラの3年後。
リメイクでは老け役の植木等が目を剥くような演技をみせて、満天下の映画ファンをうならせた。ちなみに、映画のカツマタ君はクレージーキャッツのファンだったようで、彼が作詞を担当したグータラ・スーダラは植木の貢献なくしてあり得ず、その意味で植木等も救世主だ。
なぜこの作品を見ようと思ったかというと、もう二三年前だが「坂の上の雲」を読んでいたとき、東京湾の観音崎に二十八サンチ榴弾砲を据え付けたという話が出て来たことに端を発する。砲台にこの場所が選ばれたのは(たぶん第一号)、浦賀に近いからで、つまり「黒船」撃退用だったのだろう。
行ったことがないのだが、その観音崎に観音埼灯台があり(埼の字が違う)、映画がそこから始まるのを何かの折に知った。主人公の灯台守と妻女にはモデルがいらっしゃるようだが、灯台の場所の選定は全部かどうかわからないが映画独自のものだ。
その中で唯一私が行って現物を見たことがあるのが御前崎の灯台で、実家から何回か日帰りで遊びに行った記憶がある。映画をご覧になった方へ、空襲に備えて灯台に迷彩服を施し、玉音放送のあとで不要になり燃やしていた場所です。
また、この映画でも唯一、御前埼灯台は主人公が二回赴任する。何故か知らないが脚本も自ら書いている木下恵介監督が、私と同じ静岡県の生まれ育ちだったのが一因なのかも知れない。
喜びや悲しみは、灯台守という仕事そのものから生じたものというより、その大変さからくる家族の生活の移り変わりの中で描かれている。確かに、あの激務の辛さは当事者なら観なくても知っているし、素人はちょっと観ても分かるようなものではない。
とはいえ想像するに、交代勤務になっていて、夜も昼も日曜日もない。ここまでは警察や消防やコンビニと同じだが、灯台の仕事となると一番神経を使うのが夜中や暴風雨のときで、しかも職務の性質上、何も起きなくてあたりまえ、起きたら大事故だ。台風や津波が来たら命がけです。作品の「後援」に海上保安庁の名がある。
主役の夫婦を演じているのは高峰秀子と佐田啓二。いいですよね、この順番で。最近は若い人たちと全く話が合わないので念のため、佐田啓二は「君の名は」(。の無いやつ)に主演した人。息子の中井貴一は私と同年代。
高峰秀子は当時、三十代半ばだが、ご新造さんから娘が嫁ぐ年代までの幾歳月を表情豊かに演じている。この妻と二人でなら、私も世界中の灯台に転勤になっても文句は言わん。しかし、奥様方には賃金が支払われていないのではなかろうか。
後輩の灯台守の一人を、田村高広が演じている。彼を初めて見たのは「トラトラトラ」で、真珠湾の切り込み隊長だった淵田さん。機内でも、後に演じた「泥の河」でも関西弁を話していたのは彼が京都の出身だからだ。
田村の長男が夫妻と出会うのは長崎県の五島にある女島の灯台で、役名は如何にも九州らしくて野津。この女島灯台は、一番最後に自動化された灯台だった。テレビのニュースで観たのを覚えている。今の日本に、常駐の灯台守はもういない。
きっかけが「坂の上の雲」なのに、そのブログに書かず、ここを選んだのは冒頭の「配役」に、中村賀津雄という名を見て驚きのあまり引っ越した。映画「20世紀少年」でボウリングの神様を演じている。角田氏に「金持ちやってる神様」と感心されていた現人神である。
もちろん私が生まれる少し前の映画だから、ご本人も若くて主人公夫婦の息子役で登場する。瞳のきれいな十代の若者で、出番は少ないが「喜びも悲しみも」の片方におけるクライマックスを演じる。
1957年公開だから、オッチョが「懐かしくも何ともないね」と斬って捨てたニセモノと異なり、本物の昭和です。木造平屋建て瓦葺きの民家や、木の電柱が出てくる。時代設定は昭和八年から現代(昭和三十二年)までだから、最初のころは電話機も古いのなんの。
一部、夜中や荒天の場面もあるが、ほとんどは昼間の穏やかな天候の日を選んで、ロケがなされている。どこも海が綺麗だ。砂浜も、松林も、日本語もきれいだ。まだメールはなくて、大事な用件はみな手紙。
昭和8年は上海事変の年で、それ以降も映画の中には、1930年代から40年代にかけての軍事国家日本の情報が頻出する。戦場が出てこない反戦映画でもある。客は戦争を実体験した世代だ。あやうく、個人的な事情で私の苦手な「海ゆかば」を聴かされそうになったが、うまく処理してある。
エピローグはまた別の灯台に転勤になっているので(この終幕はプロローグと対応している)、昭和三十二年より少し後かもしれない。観終わって、最後に本格的な灯台を見たのは、いつ、どこだっただろうと記憶をたどった。たぶん犬吠だ。嵐の音が聞こえてきそうな名である。
(おわり)
沖行く船のデッキにて (2013年7月8日 隠岐の島の近くで撮影)
風がやんだら 沖まで船を出そう
手紙を入れた ガラス瓶を持って
「瞳を閉じて」 荒井由実 (五島の高校に贈った歌)
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