おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

「マンガ道」論争  (第1031回)

 21世紀に再登場するのは、オッチョに続いてユキジ。やはり、強い人たちから順番に出てくる。このあとのユキジはもっぱら、柔道の使い手またはカンナとヨシツネの庇護者として活躍することになるだけに、このトキワ荘でのクール・ジャパン批判は、ひときわ異彩を放っている。

 残念ながら大家の常盤貴子嬢は映画に出演していないが、火元の管理者として常盤タカコさんの名がみえる。カンナの部屋番号の表示は、古風なことに「二○三號」である。まるで日露戦争だな。部屋の中は例によって、「60年代風」と称するサイケなデコレーションで、壁にジミ・ヘンドリクスのアルバム・ジャケット、「ボールド・アズ・ラヴ」が見える。


 最後の希望コンビがそろった部屋の中、カンナが笛を口にして、ギターの調弦をしている。ギター演奏のテキストも置いてある。漫画でも彼女はギターを弾けることになっているのだが、ユキジに行く手を阻まれ、ついに読者は彼女の演奏シーンを見ることはなかった。

 ユキジは原作の場合、カンナに「もっとかっこよかった」と言われてしまい、このあと威風堂々たるところを見せつける場面なのだが、映画では「どうして戦うのを止めたのか」という一層、手厳しい非難を浴びてしまったため、「おばちゃんて呼ばないの」と話をそらして緊急避難したが、ラジカセを止めるのに手間取っているうちに隣室が騒音に怒った。


 ウジコウジオ氏は、漫画においては原稿が没になったのをカンナのせいにしたり、ラブコメ・ブーム30年周期説に頼ったりと、今一つ精彩を欠いているのだが(漫画家仲間がみんな連行されては仕方がないけれど)、映画のほうでは結構がんばっている。志も熱い。しかし、結局ユキジは容赦なく、てんで敵わないのであった。

 仮に30年前にラブコメのブームがあったとして、西暦では1985年ごろということになる。私は新入りの会社員で、もう少年誌は読んでいないから詳しいことは知らない。知っているのはラムちゃんが終わったころ、「タッチ」が始まったころか。オッチョと同じころから時が止まっている。

 1980年前後が私の学生時代だが、そのころから少年漫画はスポーツや忍者から離れつつあり、ラブコメ的なものと、格闘技系が流行り出した。前回の話題を引っ張れば、たとえばラーメンマンである。ようやくバイト代で牛丼を食べられるようになったころ、「キン肉マン」が始まった。ラーメンと牛丼、当時の若者たちの外食対決であろう。


 ウジコウジオのモデルになった藤子不二雄の作品群は、主に少年時代、アニメで観ていたように思う。まだまだ田舎には高度経済成長の恩恵が行きわたらず、「なくな十円」や「男おいどん」、少年漫画ではないが、つげ義春の描く木造で狭い畳敷き、窓の下には神田川などが流れているのがリアリスティックな時代だった。

 そんな中で、「オバケのQ太郎」から「ドラえもん」に至る藤子不二雄の漫画は、以下、私の印象に過ぎないが、もう少し生活水準が上の家庭が舞台で、きちんとした両親と多彩な友人が登場する。この小ぎれいさとでもいうべきものが、当時のチャンネル権者だった母親に受け入れられたおかげだろうか、片端からアニメになっていたように思う。やがて日本の母親も様変わりし、しんちゃんの母ちゃん、みさえ型になる。

 しずかちゃんの家のお風呂も、なかなか立派なものだったような覚えがある。ちなみに、彼女の姓は源さん。モデルは静御前だろう。夫・義経が反政府勢力扱いされて潜伏した際に、引き離されてしまった。かつて羽生名人は何か一つもらえるなら「どこでもドア」が欲しいと、のどかなことを言っていたが、私はそれ以前に、のび太の勉強机そのものが羨ましかった。


 藤子不二雄の当初の生活は、むしろラーメン大好き小池さん的、20世紀少年的に、「まんが道」で描かれているような借家で四畳半の和室だったはずだ。ウジコウジオ宅の壁には、「節水」と「印税生活」という涙ぐましい張り紙がしてある。壁には更に「長者番付」という遠大な野心というか妄想というか、でも現実はそんな成金的成功を遥かに超えていった。

 そういえば長者番付を最近とんと見ない。名前が出る人の個人情報やらプライバシーやらが問題だという説明になるのだろうが、むしろ、名前が出ない人に都合が悪いのではないか。アメリカでは、フォーブス誌が張り切っているのに。去年の首位は、相変わらずビル・ゲイツ氏。OSアップデートの押し付けは止めよう。


 ユキジは隣室でお詫びをしたが、相手は容易に許さず、原稿の束を突きつけて感想を求める。飛んで火にいる夏の虫であった。頁をめくるユキジの手の動きがだんだん早くなり、実に良くない予感がする。評価は漫画と同じで、大外刈り一本の秒殺し。つい先ほどまでカンナが、この原稿に描かれた娘さんの姿と似たような恰好をしていたと知ったら、この程度の騒ぎでは済むまい。

 ユキジの脳裏には、血の大みそかの夜がある。荒唐無稽のようでもというのは、彼女が乗り込んだ友民党の本部で、嘲笑されていたケンヂの姿に他ならない。それを見てモンちゃんは「あの男を笑うな」と本気で怒った。彼らはもういない。でも地球の平和を守るような男たちのドラマは密かに続いていたのであった。漫画家たちも、そう簡単にはへこたれず、陳情に向かう。”ともだち”は、ラブコメなら好きなのだ。





(この稿おわり)







火星接近。本物はもう少し赤かったのですが。
(2016年6月2日撮影)






 君の行く道は希望へと続く
 空にまた日が昇るとき
 若者はまた歩き始める

   「若者たち」  ザ・ブロードサイド・フォー






相模の新緑  (2016年6月3日撮影)























































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