おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

間違いなく見た (20世紀少年 第449回)

 会わせたい人がいると言って、蝶野刑事がルチアーノ神父を連れ出した先は、仁谷神父の教会であった。容疑者を勝手に連れ出すとは違法行為であると前回書いたけれども、この刑事には已むをえない事情がある。前年に初めて法王暗殺の情報を入手したとき、彼は警察庁長官であったヤマさんおじさんに相談しに行ったのだが、なぜか情報が漏れた。

 しかも署内で御守りに発信器をつけられ、さらに顔見知りの同僚に銃殺されかけている。「正義の味方」であるべき警察の組織内に、しかも、ごく身近に敵が入りこんでいるのだ。この件は、むやみに同業者に打ち明けられないのである。仁谷神父なら、カンナが法王暗殺計画を伝えているし、旗揚げの場として、その教会を提供してくれた人物だ。


 これまで歌舞伎町は怖い街という書き方をしてきたが、現実に怪しげな飲食店や性風俗店が林立しているのは、歌舞伎町一丁目の商店街界隈だけである。2014年にカンナが中国とタイのマフィアを招集したのは区役所跡広場だったが、2012年現在、新宿区役所は無事、歌舞伎町一丁目で営業中です。

 隣の歌舞伎町二丁目は、もうごく普通の新宿の街であって、私もときどき仕事で出かけるハローワーク新宿などがある。第5巻の仁谷神父が初登場する場面、160ページで刑事の一人が「二丁目の教会の神父」と呼んでいるから、彼の教会は歌舞伎二丁目に位置するのであって、歓楽街のど真ん中にあるわけではない。


 ちなみに、このシーンで仁谷神父は「新宿カトリック教会の仁谷です」と自己紹介しているのだが、第9巻の105ページに出てくるように、正式名は「新宿歌舞伎町教会」である。蝶野刑事はイタリア人の神父をそこに連れて行った。そして、カンナも呼び出した。

 大事な用って何?と相変わらずカンナ嬢は愛想がない。刑事はデートの誘いじゃないぜと恰好つけているのだが、カンナは、そういうつまらないジョークは、隣のウジコウジオのラブコメにたくさん出てくると一蹴。二人はまだラブコメを描いているのか...。刑事が歯噛みをしているとき、仁谷神父が「話は全てうかがった」と言いながら奥からて来た。


 刑事が驚いたことに、先ほどの刺青のイタリア男は、黒衣に十字架の立派な神父姿になっている。仁谷神父は端的に説明している。ルチアーノ神父は信頼できる。彼がイタリアで収拾した情報によれば、ローマ法王暗殺計画はまだ続いているらしい。

 蝶野刑事は”ともだち”が死んだのに?と疑うが、今度は、カンナが口をはさむ番だった。街中でオッチョおじさんとユキジおばちゃんが見たのだという。その”ともだち”を。

 このあと4人は二手に分かれた模様である。刑事とカンナはマフィアのボスたちに会いに行くのだが、他方、二人の神父はカンナから得た驚きの情報について、その詳細を確認・検討するため、目撃者たちとの会合を持つことになった。場所はヨシツネの秘密基地だろうか。暗い部屋に裸電球が一つ。


 4人掛けのテーブルに、仁谷神父、ルチアーノ神父、オッチョ、ユキジ。さながら「20世紀少年」の武闘派(元も含め)四天王といった感じの物騒な顔ぶれである。脇にヨシツネと市原弁護士が立っている。「本当なんですね」と仁谷神父は念を押した。「ええ」とユキジ。「間違いなく見たんですね」と神父、「ああ」とオッチョ。

 かつてオッチョは、仁谷神父の教会のステンドグラスを大破して逃亡したままなのだが、さすがは聖職者、その件は不問に付したらしい。「別に信じてくれなくたっていい。俺だって信じられないんだ」とオッチョは言った。奴の死を確認したのは、ほかならぬ彼自身である。角田氏も同じ証言をしている。間違いなく脈は止まっていたのだ。


 自分の意思でしばらく息を止めることはできるが、脈を止めることはできない。オッチョは葛藤の中にある。これからも、ずっとそうだろう。海ほたるからの脱出行から今日に至るまで、オッチョは意外と雄弁だったのだが、このあとは極めて口数が少なくなる。彼の心中を窺いながら読み進めるほかあるまい。

 ともあれ、あの雨の夜、ユキジとオッチョは信じられないものを見たのだ。ユキジを見ながらうっすらと笑っていた男。ユキジを知っている人間は、”ともだち”側にそう大勢いる訳ではなかろう。その中の誰か一人だ。「あれは間違いなく”ともだち”だ。」とオッチョは言った。「フクベエだ」とは言わなかった。


 「21世紀少年」上巻において、フクベエとそっくりの顔の男が、ともだちマスクを付けたまま、墜落した空飛ぶ円盤に押し潰されて死んだ。その男はフクベエと声も形もそっくりだが別人だとキリコは断言している。何もかも、外見がそれほど似ていて別人だとすると双子なのか、と誰でも一度は思うだろう。

 しかし、双子の兄弟がいるならば、マルオが「整形か?」と驚く前に、双子のもう一人だったのかと思い浮かべてもよさそうなものだ。フクベエという呼び名は服部の「服」に、「黒ベエ」と同じく「兵衛」をつけたものだろうが、同じ町内、同じ学校内に双子の兄弟がいれば、苗字を使ったこういうあだ名は付かないと思う。第2巻でチョーさんが話を訊いた近所の弁当屋のおばちゃんも、双子の兄弟がいたとは思えない返事の仕方をしている。


 死んだ人間は生き返らないというのが、この物語を読むにあたっての私の前提であり(これに限らず、譲れない信念でもあるが)、そうであれば、再び現れた”ともだち”はよくできたコピーに過ぎない別人か、さもなくば、フクベエが死んだと見せかけて生きていたかのどちらかである。

 すでに最後まで読んだ私の結論は出ているが、この時点での登場人物たちは、まだ当然ながら判断材料が不足している。ルチアーノ神父情報およびオッチョとユキジの目撃情報という不可解な現実を目の前にして、疑心暗鬼のまま、事態の悪化を防がなければならなくなった。しかも、法王の来日は目前に迫っている。



(この稿おわり)




フィレンツェの青空(2006年撮影。イタリア国トスカーナ州





上野公園のハスの花(2012年8月19日)