おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

まだ終わってない   (20世紀少年 第270回)

 第9巻の巻名は「ラビット・ナボコフ」で、ヒロインはもちろんカンナ。第10巻は「顔のない少年」で、主人公はサダキヨとコイズミです。この「顔のない少年」とは、サダキヨが自嘲気味に言うセリフなのだが、物語の後お半、顔のない少年は別の意味で(あるいは、同じ意味か?)で重要なモチーフになる。

 第9巻はオッチョが暴れたせいでカンナの物語が終わりきらず、第10巻の第1話は教会のシーンの結末が描かれている。教会では漫画家の角田氏の活躍も見逃せない。13番が発砲した場所を確認してオッチョに報告している。かつてテキサス州ダラスで、オズワルドがケネディー大統領を狙撃したとされる倉庫を見たことがあるが、ちょうどこんな古びた感じのビルだった。

 角田氏はオッチョの後を威勢よく追って行ったものの、13番の人質になってしまうのだが、そのあとでショーグンに「最後の希望」に会えたかどうかを確認して次の行動に移る場面も良い。戦う男の顔になっている。高所恐怖で悲鳴をあげてもいるが、ご愛嬌というものだ。


 教会の外で群集と警官隊が衝突している間に、教会内のマフィアたちは裏口から逃げようとするのだが、カンナは「まだ終わってないわ」と呼びとめた。確かに終わっていない。彼女は、自分を殺そうとした男が本物の警察官であることを伝え、改めて二人のボスに協力を申し込む。

 先に同意したのはチャイポンで、理由は「二度とあんな奴を敵にまわすのはごめんなんでね」ということだから、ショーグンはカンナの命を救ったばかりではなく、彼女の旗揚げも助けたことになる。王曉鋒は、世界を敵に回してまでビジネスはしたくないという地味な理由で賛成。

 カンナと両ボスが手を握り、周囲は「停戦だ」と喜んでいるのだが、蝶野刑事が不安げに眺めているように、これで平和が到来したわけではない。実際、”ともだち”に本格的に反旗を翻したのは、20世紀少年たちが初めてではなく、この外国人のマフィア連中であった。第18巻で王曉鋒やチャイポンが見せる果断な措置と敢闘精神は、バスチーユ監獄の襲撃と同様、世界の歴史に残るものだ。


 蝶野刑事が歌舞伎町警察との間で時間稼ぎをしているうちに、みんなは教会から逃げた。ユキジとカンナは服装からして、その日のうちに七龍ラーメンを食べに行ったらしい。カンナはご機嫌なのだが、せっかく出来上がったラーメンを前に、例によってユキジの説教が始まる。

 カンナは泣いているが、怒られて泣いたのではなかろう。人は本当に好きだった今は亡き誰かのことを思い出すとき、涙がこぼれるものだ。ラーメンがあって、例の帽子もあって、ユキジはケンヂに代ってカンナを叱っている。森進一によると、流す涙で割る酒は、だました男の味がするそうだが、涙のラーメンのお味はいかが。スープを守り抜いたラーメン屋の店長さん、本当にうれしそうだな。


 ユキジはカンナに向かって「あたしの娘」と言っている。「母親代わり」から昇格しました。カンナの産みの親は、父親が”ともだち”で母親がゴジラ、育ての親はテロリストのケンヂに、元・史上最強の少女ユキジと百花繚乱だが、それに加えて第18巻では、老衰で死にゆくチャイポンにまで「俺たちの娘だ」とまで言われてしまった。

 つくづく大変な人生である。このあとカンナは高校に戻った。自宅は常磐荘なのか、ユキジの家に帰ったのか不明だが、いずれにせよサダキヨとコイズミが間もなく大騒ぎを起こすので、ほとんど息つく暇もなく、またも大混乱の渦中に放り込まれるのだが、こういう生まれなので気の毒だが仕方がない。


(この稿おわり)



自分の足跡(2012年1月24日撮影)