神谷美恵子「こころの旅」の第八章「人生の秋」には、「抵抗」という言葉が何度も出てきます。前回の「向老期」は、自らの老いに対し抵抗する時期との位置づけのようです。同感です。
この作品を連載していた当時の著者は、六十手前でしたので、ちょうどその時期に当たります。本書は「精神医学入門」というテーマで受注したものですから、客観的な記述に徹しており、著者自らの体験、心境には直接、触れていません。
精神医学の専門書や、海外の思想、文学等々の参考文献を出典とする知見を織り交ぜながら論考を進めています。とはいえ、無数の文献の中から何を選び、どの箇所を引用するのかを決めているのは著者です。本人が実感、納得できるものに絞られているはずです。
最初に引用されてるのは、フランスの哲学者ボーヴォアールが63歳のときに発表した「老い」。1970年発行で、私は小学生。人生の秋の63歳のころ、この論文においてボーヴォワールは、「老いの発見と受容」について書いているそうです。自らの老いの発見はたいへんな驚きでした。転載します。
老いの受容、老いをわが身にひきうけることがとくに困難なのは、われわれがつねに老いを自分とは関係のない異質なものとみなしてきたからなのだ------私はいぜんとして私自身であるのに、別の者となってしまったのか。
神谷美恵子は65歳で亡くなりました。ネット上の履歴などをみると、六十代で要職から引退し始め得ていますので、自ら設定した向老期に入り、体調不良を覚えたのかもしれません(勝手な想像です)。
拙ブログでも、自分が自分ではなくなってきた経緯を、くどくどと書いてまいりました。老眼の急激な進行、目と歯を襲った急変、腰の持病の悪化と膝痛の始まり、疲れやすさ等々。「自分とは関係のない」ものと思っていたのに、今や毎日これらによる苦痛や不便を感じております。
それでもまだ向老期においては、一方で「否応なしにおそってくる身体的な衰えや症状」に抵抗感を覚えつつ、他方でよほどの病いにおそわれない限り「こころはからだとかなり距離を保ちつづける」ことができ、結果として「衰えや故障を無視または軽視する」。私らは往生際が悪いのです。
それでも著者は女性と男性では違いがあるといいます。女性の場合、その代表的な出来事として著者は閉経を挙げています。それ以外にも女性は若いころから初潮、妊娠、出産、更年期障害、または「月ごとの波」に揺さぶられ続けています。
これは女性ホルモンのバランスが影響していると聞きますが、かくて女性は体質的、生理的な変動について経験豊富です。しかし我ら男は声変わり程度の経験のあと、それほどの激動がありません。比べて起伏がありません。
それでもまだ力仕事の男たちやスポーツ選手であれば、中年期に体力の衰えを実感するのでしょうけれども、私のように40年間、主にオフィスで事務仕事をして来た者は、せいぜい矯正可能な老眼程度の実感しか伴わないまま、いきなり今の私のような荒波に揉まれ始めます。これについては次回。
(つづく)

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